蕎麦打ち入門、4食ともざる蕎麦・・・ふぅー

IMG_0027.jpg
          
 私たち夫婦が入門した蕎麦打ち道場は、生石高原のわが家から車で小一時、紀ノ川のほとりにある。集落はざっと100戸ほどで、山の斜面に果樹園が広がっている。集落の路地は車1台がやっと通れる狭さだ。昔からの古い町なのだろう。

 ここに太っ腹の人がいて、無償で平屋の家を提供し、こね鉢や包丁など道具一式もそろえて道場を開設した。参加費用は、蕎麦粉代や光熱費だけで1回1000円。講師料のようなものはなく、みんなが教え合って楽しもうという気楽な道場だ。

 夕方6時前に道場に着くと、会長や副会長が先に来ており、準備のため忙しくしていた。副会長は「今日は参加者が多いので、さぁ、始めましょう」といい、いきなり蕎麦打ちの実践である。心の準備も出来ていないので、少々慌てた。

 打つ蕎麦は「二八蕎麦」というもので、蕎麦粉8、つなぎの中力粉2という割合だ。ちなみに、つなぎを使わないのは「十割蕎麦」で、勤務先の近くに「十割」をうたう店があり、よく食べに行った。

 われらは、別々にそれぞれ500グラムの蕎麦を打つ。まずは蕎麦粉を計量し、粉をふるいにかけてほぐしておく。そうすることで、スムーズに水分を行き渡させることが出来るという。これを「水回し」といい、副会長は「蕎麦打ちは水回しが最も重要。これを覚えておいて下さい」とのことだ。

IMG_0037.jpg

 250ccの水を3回くらいに分けて注ぎ、こね鉢で蕎麦粉を練り込むが、これがなかなか難しい。体重を乗せて手のひらで練り込むが、手早く200回以上も練るのでかなり力仕事だ。すぐに汗ばんできた。もたもたしていると、ベテランがさっと体を入れ替え、実地で教えてくれる。

 練った塊を直径30cmほどの円形に延ばすと、いよいよ麺棒を使って徐々に薄くしていく。麺棒を転がす時、つい爪を立ててしまい、傷が付いてしまう。円形の塊を長方形に成形できれば、折りたたんで細く切る作業に入る。

IMG_0040.jpg

IMG_0043.jpg

 包丁は中華包丁のような長方形である。包丁の重みで切れと教わるが、これも難しい。蕎麦の断面が正方形になれば理想的だが、私たちが切れば素麺のように細かったり、きし麺のように平べったくなる。まぁ不ぞろいも手打ちの味の一つと言えなくもない。

 打ち終わったら各自が一人前づつ出し、みんなで茹でたてを試食する。蕎麦つゆは道場の自家製で、こだわりがあって美味しい。試食していると、きし麺のようなものがたくさん混じっており、安心した。

 私たちは計1000グラム打ったが、試食分以外は持ち帰ることになっていた。美味しく食べるにはなるべく早い方がいいと言われた。これを忠実に守り、講習会の夜、翌日の昼、さらに翌日の昼と晩、計4食とも蕎麦だった。なんぼ蕎麦好きと言っても、これでは少々、食傷気味である。

 しかしそれでも、掛け値なしに美味しかった。蕎麦は「挽きたて・打ちたて・茹でたて」の「三たて」が美味しさの秘訣とされる。蕎麦打ちに入門したわれらは、いつでも打ちたて、茹でたてが食べられる。断言できるが、そこらの蕎麦屋よりも間違いなく美味しい・・・
スポンサーサイト

ワラビはこれが最後・・・

 5月もあとわずかになったてきた。生石高原では、あれだけたくさんいた山菜採りの人影がめっきり減ってしまった。ここに住んでいる私たちにとって、こんな時期こそチャンスである。他の人と競争せず、急がず、慌てず、じっくり山菜を採ることが出来るのだ。

 「これが今年最後のワラビ採りだね」と言いながら、女房とともに高原に出かけた。朝の8時半だから、駐車場には1台も車が止まっていなかった。いつも採る場所に行くと、ススキなどの植物が腰の高さくらいに伸びており、ワラビを探すのが少し厄介だ。

 いつものことだが、私は山の斜面の手前から、女房は向こう側から挟み撃ちするように採って行く。ススキの根元をよく見ると、立派なワラビが生えている。ススキの茎とワラビの色が同じように見えるから、前日か前々日の先行者がつい見落としてしまうのだ。

 女房を見ていると、盛んに腰をかがめてワラビを採っている。ところが私は女房のペースのようにはいかない。半時間ほど斜面を行ったり来たりし、女房と合流すると、女房は私の軽く3倍は採っていた。これだけあれば当分の惣菜になるので、帰ることにした。

 女房が私より多く採るのはいつものことだが、山菜採りの先輩としては少々癪である。私は田舎育ちで、山菜採りには慣れているし、何せ中学生の頃は、図書費を賄うため全校上げて山菜採りに行き、業者に買い取ってもらっていた。女房は私と結婚するまでワラビなど採ったことがなかったのに、いつの間にか追いつかれてしまった。

 その原因が少し分かってきた。実は先日の夕食の時、箸を持ってきたつもりだが、見つからない。捜していると、女房が「箸なら目の前にあるでしょう」と言う。要するに、視野が狭くなってきたのだ。こんなことは二度や三度でない。よく捜し物を繰り返しているが、しまいには何を捜しているのか分からなくなることもある。

 私がワラビ採っていると、女房は後ろからついてきて、「あっ、ここに太いのがあるわよ。あっ、ここにもあった」と、これ見よがしに声を上げる。私の節穴をあざ笑っているのだ。まぁ、それはよいとしても、視野が狭くなっているとは思いもよらなかった。これも老化現象だろうか・・・。

     ↓ 私と女房の差はこんなにある・・・ 
IMG_0103.jpg

         *      *      *

     ↓ 山ウドも終わり、ウドの大木になりつつある
IMG_0106.jpg

     ↓ タラの木には葉が繁ってきた。
IMG_0107.jpg

     ↓ コシアブラの天麩羅は随分楽しんだ。 
IMG_0104.jpg



 

蕎麦打ち道場の門をたたく

 小説家・藤沢周平の故郷で、数々の小説の舞台となった山形県鶴岡市を訪ねた後、羽黒山に向かって車を走らせていた。女房とともに東北を17日間かけて回るこの旅は8年前のことだ。その途中、田んぼの中にぽつんとたたずむ一軒の蕎麦屋が目に入った。

 ちょうど昼時だったので、店に入った。その店は、何の変哲もない平屋の建物で、テーブル席が四つほど、奥には畳の部屋があった。中年の店の主人が注文を取りにきた。失礼な言い方だが、風采の上がらないおじさんである。

 私はざる蕎麦、女房は鴨肉蕎麦を頼んだ。やがて、主人が打ったと思われる蕎麦が出てきた。蕎麦は少し太目で、いくらか殻が入っていて、いわゆる田舎蕎麦の風合いである。蕎麦はあくまでも無骨だ。しかし、これぞ蕎麦本来の味だと確信した。

 帰り際、主人が「枕にして下さい」と蕎麦殻をたくさんくれた。ということは、自分の畑で蕎麦を栽培し、店の石臼で挽いたに違いないと思った。東北一周の間、数々の店、時には名店と言われる店で蕎麦を食べたが、この店をしのぐ蕎麦はなかった。

 私は蕎麦好きだ。旅先では必ず蕎麦の店を探して訪ね、新蕎麦の限定食があると聞けば何時間もかけて食べに行った。しかし、決して「通」ではない。単純に蕎麦が好きなだけである。ワイン通が口にするような薀蓄(うんちく)も持ち合わせていない。

 蕎麦は好きだが、気取った蕎麦屋はどうも苦手である。まずもって、茶室のような店のたたずまいに腰が引ける。工芸品のようなざるに盛られた蕎麦は、もったいぶったように少量だ。その割りにいい値段である。そもそも蕎麦は、大衆の食べ物だ。江戸時代では、屋台ですぐに食べられるファストフードだった。 

 9年前、次のようなブログを載せたことがある。女優の岩下志麻さんが信州で蕎麦を食べるグルメ番組が放映され、注文した蕎麦に金粉が振りかけてあった。たかが蕎麦とは言わないが、金粉で飾り立てることにどんな意味があるのか、皮肉を込めて書いた。金粉の店も店だが、それを有難がる無定見な客が多いのも事実だろう。

 先日読んだインタビュー記事にも腹が立った。語るのは老舗蕎麦屋の主人で、大学を中退して修行に打ち込んだという。聞き手は「最近、音を立てずに蕎麦を食べる人がいる」と言うと、主人は「蕎麦をすする時には、音だけでなく空気も吸い込んでいます。その空気が蕎麦の香りや風味を楽しむための大切な役目なのです」。

 いやはや、そんなもん「ほっといてくれ」と言いたい。蕎麦を食べる時、空気を吸おうが吸うまいが、好きなようにすればいい。私の友人にフランス料理にかぶれた男がおり、味噌汁をすする時さえ絶対に音を出さない。それが作法と信じているのかもしれないが、食べた気がしないだろうと同情する。蕎麦は自由だ。

 散々、蕎麦屋に難癖をつけてきたが、実は最近、ちょっと変なことになってきた。きっかけは、私のブログを読んで山小屋を訪ねて来てくれた男性が何気なく言った「蕎麦打ちは面白い」のひと言だった。彼は、わが家から1時間ほどの農村で暮らしており、海外経験もある多趣多芸の人である。

 彼は5年ほど前、仲間とともに蕎麦打ち道場を立ち上げ、参加者の指導をしている。蕎麦打ちは奥が深いと言われるが、「難しく考える必要はありません。誰にでも出来ます。ご夫婦で一度見学に来て下さい」と熱心に誘われた。蕎麦屋さんに散々嫌味を言ってきたので、後ろめたかったが、蕎麦道場の門をたたくことにした。

 彼と出会うまで、まさか自分が蕎麦を打つなんて考えもしなかったし、そもそも私の中では「瓢箪から駒が出る」というあり得ない話であった。しかし考えてみれば、蕎麦好きが自分で蕎麦を打つというのは自然な流れかもしれない。われら夫婦に思いもよらない挑戦が始まった・・・。

IMG_0033.jpg

IMG_0034.jpg
IMG_0037.jpg

IMG_0041.jpg

IMG_0044.jpg

 

寒天・・・初夏の一品

 標高800mのここ生石高原は、やっと半そでシャツで過ごせる気候になってきた。今は二十四節気の立夏、七十二候には「竹笋生ず」とある。竹笋(ちくじゅん)とはタケノコのことで、なるほど今の時期、竹薮には背丈数メートルものタケノコが生えている。

 わが家を囲む森の木々は、まぶしいほどの新緑に覆われている。緑の合間に、ヤマツツジが咲き乱れている。その赤色はドキッとするほど鮮やかだ。淡い紫色のミツバツツジ(?)も咲き始めた。故郷の山にもたくさん自生していたので、懐かしい。今年はどちらも例年になく花の数が多いように思う。

IMG_0054.jpg

IMG_0059.jpg

IMG_0055.jpg

 そんな初夏に似合う涼しげな食べ物といえば、冷蔵庫で冷やした寒天だろう。先日、女房が天草を煮出して寒天を作ってくれた。

 実は先月下旬、ブログを通じて親交のある「イレグイ号」さんが、山菜採りのためわが山小屋を訪ねてくれた。その際、手作りの干しワカメと天草を持って来てくれたのだ。

 紀淡海峡の浜に流れ着く天草をイレグイさんが集め、次はお母さんが天草を真水で洗い、天日干しにする。これを何日もかけて繰り返すと、塩分が取り除かれ、赤紫色の海草は次第に金色に変わる。雨に濡れないよう気遣いながら、10日前後もかけて仕上げるお手間入りの海の幸である。

 女房は寒天作りに取りかかった。乾燥した天草50㌘を1・5㍑の水で煮出す。煮出した天草を布で濾す。天草は貴重なものなので、女房は0・5㍑の水でもう一度煮出し、二回目の寒天を作った。冷めればやがて固まり、これを冷蔵庫で冷やしておく。

 適当な大きさに切った寒天の上に、黒砂糖ときな粉を振りかける。冷えた寒天は、サクッとした食感とともに口の中に甘みが広がった。涼風が吹き抜けるような初夏の一品だ。

IMG_0181.jpg

IMG_0182.jpg

IMG_0184.jpg

IMG_0186.jpg

IMG_0188.jpg

IMG_0190.jpg

アオリイカ3・1㌔・・・

 私たち夫婦は先日、紀ノ川のほとりにある知人の家に招かれた。地場産業の社長さん、銀行マン、多芸な大工さん、そして私たちを含めて五人の集まりである。手土産として、先日釣ったばかりのアオリイカの刺身を持って行った。

 刺身は、重量2・8㌔㌘のイカの半身で作った。身は分厚いので、飾り包丁を入れて食べやすくした。半身だけなんて「ケチやなぁ」と言われそうだが、五人なので十分な量である。手前味噌になるが、みなさん甘くて美味しいと言ってくれた。

 魚のサイズには、食べごろというものがある。真鯛なら40センチ前後らしいが、60センチ、70センチの大きさになると味が落ちると言われる。鮎も料亭に出荷するサイズは15センチと小ぶりである。魚は総じて大き過ぎると大味なのだろう。

 アオリイカの釣り場で、800㌘くらいの中型が釣れると、「食べごろやねぇ」と言ってくれる人がいる。そして、2㌔を超える大物の場合は、明らかに羨望が滲む表情なのだが、「身が硬いから、天ぷらくらいしか食べられない」としたり顔で言う人もいる。私も初心者の頃、そう信じていた。

 しかしそれは大きな誤解だ。3㌔の巨大サイズでも実に美味しいのだ。冷凍した身を冷蔵庫で2晩寝かせれば、刺身はもっちりして甘みが増す。足の付け根にあるネバネバした筋肉部分は、食べ応えのある最高部位だ。足はお好み焼きの具として重宝する。

 結婚式の乾杯の発声もそうだが、延々と前口上が続くと辟易する。当ブログも同じであり、前書きが長い。今回のブログも同じで、アオリイカの大型を釣った自慢話を書きたかっただけなのだ。

 今年の春イカ釣りは遅めのスタートだったが、4月末、ボートから重量3㌔を筆頭に2・8㌔の2杯、計3杯を釣った。そして、気を良くして望んだ2回目の釣行は、昨日の5月11日のことだった。餌の生きたアジは途中の漁港で買い求めた。

 場所は例によって、由良湾を少し出た岩場の近くだ。ボートを走らせていると、予報とは違ってそこそこ風がある。うねりもあり、時折り、大きくボートが揺れる。

 ポイントに到着すると、生きたアジの尻尾に針を打ち、自由に泳がせた。藻が水面近くまで伸びており、これに糸が絡まればイカを取り込むことは至難の業だ。1時間以上も当たりがなく、藻を心配するのは捕らぬ狸の皮算用だと苦笑する。

 午前8時過ぎ、ジリッ、ジリッとリールからゆっくり糸が出る。イカが泳いでいるアジに食いついたのだ。それからのやり取り、ヤエンの投入、取り込みのてんやわんやはいつも書いているので、略・・・。無事玉網に入ったイカは2・7㌔ほどだった。

IMG_0046.jpg

 そして40分ほど後、ジリッと1回糸が出ただけで動きがない。2分ほど待って糸を張ってみると、イカは猛烈に走った。寄せようとするがなかなか近付いて来ず、辛抱たまらずヤエンを装着して勝負に出た。合わせは早いと思ったが、やはり空振りになった。

 すかさずアジを付け替え、同じような場所にアジを放り込んだ。10秒とかからないうちに、竿先が少し曲がった。案の定、先ほどアジを離したと思われるイカが再び乗ったのだ。うまくヤエンに掛かったが、強烈な引きに耐え、長いやり取りが続いた。

 そして突如、海面が盛り上がり、巨大なイカが姿を見せた。玉網が届く所まであと少しだが、何回も潜られてしまう。それでも渾身の力で引き寄せ、玉網を差し出すが大き過ぎて入らない。イカが反転して潜ろうとした時、大量の墨をこちらに向けて吐いた。私は頭からズボンまで墨を浴びた。

 寄せてもう一度、玉網を差し出したが、入らない。イカはまたも反転して潜った。その時、同じように墨を浴びた。メガネは墨で曇り、前が見えない。メガネを外して裸眼でやり取りし、三度目の正直、何とかボートに引き上げた。「ドスン」という音が大きさを表していた。女房の計測では、3・1㌔㌘。

 心臓が張り裂けるような緊張感・・・。アオリイカ釣りは実に面白く、もっと行きたい思う。けれど多くの子孫を残すであろう巨大イカの殺生は、柄にもなく心が痛むのだ。仏心・・・今からそんなに枯れていいのだろうか。

IMG_0047.jpg

 

水温が低い・・・ガシラ釣りは苦戦

 女房は近頃、釣りに行きたくて仕方ない様子だ。しかし、「ねえ、連れてって」と下手に出るほどの可愛いさはない。自分から言い出さないのは、何か夫に従うのが癪なのかもしれない。亭主関白だった私が仕事を辞め、次第に女房が自己主張を強めたここと無関係ではないように思う。

 しかし私は、「そろそろ魚が釣れる季節やなぁ」と水を向け、雰囲気を作ってやる。あくまでも大人の対応である。4月末に大型のアオリイカを3杯釣ったばかりで、今はその余韻に浸っているのだが、あえて女房を釣りに誘うのは、女房への心遣い、思いやりなのだ。

 という訳で、由良湾へガシラ釣りに向かった。ブログのタイトル「ひまじん」と言えども、それなりに用事がある。さらに、当日の天気、海の状況の三拍子がそろわないといけない。やっとそんな日が巡ってきて、今年初めての夫婦釣行と相成った。

 湾内のポイントを目指してボートを走らせた。海水を手ですくうと、少しひんやりしていた。今年は春の気温が低く、山菜の生育も1週間以上遅れたのだが、海も同じような傾向で、魚の活性も芳しくないだろう。

 20分ほどでポイントに到着した。ボートにパラシュートのようなシーアンカーを付け、流し釣りをすることにした。微風なのでボートはゆっくり風下に流れる。餌はサバの切り身。10mほど飛ばし、魚の食い気を促すように誘いながら引き寄せる。しかし、まったく当たりがない。餌取りの当たりさえもない。

 魚はのべつ釣れる訳ではなく、「ジアイ」という魚の活性が上がる時間帯があるものだ。だからそのジアイを待つのだが、1時間以上も反応がなければ、場所を替わりしたくなる。

 波が静かなので、遠出することにした。湾の奥から紀伊水道に面する防波堤の「沖の一文字」という場所まで走った。ここには磯が点在し、アオリイカやイサギなどが釣れる人気ポイントだ。私たちは一文字のテトラ近くで竿を出した。

IMG_0020.jpg

 まずは女房が中型のガシラを釣った。しばらくすると、今度はひと回り大きいサイズを釣り上げた。さらに1匹を追加したが、私には何の反応もなく、3対0の釣果だ。ここ2年ほど、釣果では女房に負け続けており、顔では笑っているが内心穏やかでない。

IMG_0017.jpg

 しかし幸い、私に2匹連続で釣れた。うち1匹はいい型だった。ただ、長く釣りをしていると、釣れるか釣れないかは何となく分かるものだ。そこでこのポイントを諦め、移動しながら竿を出すことにした。3か所で試してみたが、まったく反応がなかった。

 最後に港の近くで竿を出し、私がガシラ1匹を釣って竿を納めた。結局釣果はガシラが二人で6匹、ベラが5匹。女房とは3対3の引き分けだった。貧果ではあったが、これからは水温が上がり、もっと釣れるだろう。近いうちにまた女房を誘ってやろう・・・。

IMG_0024.jpg


ワラビの塩漬けは成功するか・・・

 ゴールデンウィークは後半に入った。天気にも恵まれ、ここ生石高原にはたくさんの人たちが訪れている。山菜を採りに来る人も多い。高原を散策していると、藪の中からいきなり山菜採りの人が現れ、びっくりさせられることがある。

 われら夫婦も山菜採りに忙しい。ワラビを始め、ゼンマイ、山ウド、コシアブラ、タラの芽、ヤマブキを摘む。高原まで10分という地の利を生かし、まだ誰も来ない早朝に出かける。知人に送る場合を除けば、自分たちが食べる分しか採らない。

 ただしゼンマイは別である。干しゼンマイは10年以上も前からせっせと作り続けている。ゼンマイを茹で、灰ををまぶして天日干しにし、時々優しく揉んで柔らかくする。年中食べられる貴重な保存食であり、こうして作ったゼンマイはわが家の自慢料理でもある。

 ゼンマイよりもたくさん採れるワラビだが、これを上手に保存できる方法がないものかと思う。東北や信州を旅すると、料理にびっくりするほど美味しい季節外れのワラビが添えられていることがある。

 これまで何回も塩漬けにしたり干したりしたが、どうもうまくいかない。昨年4月、中仙道は妻籠宿の有名な蕎麦屋で食事をした時、塩漬けのワラビを食べた。絶妙の味に感心し、女将に作り方を聞いた。祖母が作っているとのことで、伝来のコツを教えてもらった。

 そこで去年試してみたが、正直言って美味しくなかった。そもそもワラビの質、生育環境が違うし、保存期間中の気候風土も異なるからだろう。

 そして今年、長野と新潟の県境にある小谷温泉で1泊した時、これまた見事な塩漬けワラビが出てきた。旅館の女将をつかまえて根掘り葉掘り聞いた。女将は嫌な顔一つせず、懇切丁寧に話してくれた。ポイントは塩の量の多さ、浮いてきたワラビの水を絶対に捨てないことだが、他にも色々貴重な話が聞けた。

    ↓小谷温泉のワラビ。食べてしまい残りを撮影した
落花生

 先日、生石高原でたくさんワラビが採れたので、小谷温泉直伝の塩漬けに挑戦した。陶器の壷の底にたっぷり塩を敷き、灰で一晩灰汁抜きしたワラビを漬けた。全部で5層くらいになり、1層ごとに雪が降り積ったように塩を振りかけた。もうこれで失敗したら、生石高原では美味しい塩漬けワラビが出来ないと諦めるしかない。

 これまで何度も失敗してきた干しワラビにも挑戦し、今は天日干しをしている最中。これもお盆の頃、食してみようと思う。季節にその季節のものをいただくのは最高だが、保存は人間の知恵であり、知恵を継承しようという試みは、われながら崇高である。成功しての話だが・・・。

       ↓ ストーブの灰で灰汁抜き
IMG_0153.jpg

       ↓ 灰汁抜きしたワラビは鮮やか
IMG_0155.jpg

       ↓ 5層くらいに分けて漬け込む
IMG_0159.jpg

       ↓ これでもかというほど塩を振る
IMG_0160.jpg

       ↓ ワラビの天日干し
IMG_0014.jpg

カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

月別アーカイブ

ブログ内検索

全記事表示リンク

訪問者数

ランキング参加中!

PR

PR

PR