名峰・白山を登る・・・(前編)

 石川、福井などにまたがる北陸の名峰・白山(2702m)はいつか必ず登りたい山だったが、これまで北アルプスや南アルプスの山に目移りし、ずっと後回しにしてきた。しかし、年齢的にも能力的にももう待ったなしの状態で、まだ多少の力が残っている今、挑戦することにした。

 後で後悔することになるのだが、私はどこか白山を甘く見ていた。それに、出発する前、知人から「なだらかな山ですよ」と聞かされてもいたことも甘さにつながった。しかし考えてみれば、楽に登れる山など一つもないし、まして日本百名山の頂上を踏むにはそれなりの苦難が伴うのが当たり前だった。

 もう一つ、白山に登りたい訳があった。1300年前、白山最高峰の御前峰の祠に、白山を開山した泰澄上人が自ら彫った十一面観音像を安置したとされ、この山こそ観音信仰の聖地とされているのだ。私は各地の十一面観音菩薩を巡拝しているので、今回の登山は聖地巡礼でもある。ただ、大いに落胆した。その理由は後で・・・。

 登山に備え、和歌山の山小屋から北陸に近い大津の自宅に帰った。テレビでは秋田や新潟、それに石川などの豪雨が伝えられていたが、すでに中腹にある南竜山荘を予約していた。登山前日の夕方、白山の予約センターから電話があり、雨で登山口の別当出合への道が閉鎖されているとのことだ。

 もし白山が駄目なら、福井を経由して上高地から焼岳に登ろうと、午前5時半に見切り発車した。8時を過ぎれば予約センターで情報が得られるとのことだった。勝山市の手前で女房が電話すると、通行止めが解除されたとのことだ。このような電話をしてくれるのは珍しく、以前から抱いていた「北陸人の親切」はその通りだと再認識し、うれしかった。

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 午前10時過ぎ、登山口の別当出合に到着した。山を見上げると、霧が覆っていた。義務付けられている登山届けを提出して歩き出した。いきなり100mほどの吊り橋だ。女房は目をつむって渡るほどの吊り橋恐怖症で、「私が渡り終えるまで、絶対来ないで」と念を押して渡った。

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 登山道は急登から始まった。私たちの前におばさん中心の20人近いグループがおり、しばしば渋滞する。花を観察し、写真撮影しながらの登山だから、渋滞も当然だ。彼女たちはあらん限りの花の知識を披瀝し合い、少し滑稽。人のことは言えないが・・・。「すんまへん」と言って一気に追い抜いたが、息が切れた。

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 ブナやダケカンバの森の中を登って行く。すると、黒の作務衣に頭に手拭いを巻いた集団が迫ってきた。10代と思われる若者で、「永平寺の人?」と問うと、礼儀正しく「はい」と答えた。厳しい修行を続ける永平寺の禅僧だ。

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 登山道沿いに「この先、火口域から2キロ圏内」という標識があった。白山は紛れもない活火山であり、ひとたび噴火すれば噴石が飛び散る範囲ということだろう。あの御嶽山の悲劇が蘇ってきた。

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 いくつも小さな池があった。これらの池にはサンショウウオが生息しているとテレビで知った。池をのぞいてみると、赤ちゃんがいっぱい池の底を這っていた。大人になれば14、5センチの大きさになるらしい。

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 3時間ほど登ると、甚之助非難小屋に着いた。ここでカップ麺とおにぎりを食べ、すぐ歩き出した。このあたりは標高2000mほどで、高山植物が見られるようになる。言うまでもなく、白山は花の山である。「ハクサン」を冠する花は18種類と聞いた。ハクサンコザクラ、ハクサンイチゲ、ハクサンフウロ・・・。高山植物の代名詞のような花である。

 高山植物の名前をうかつに人に教えるのは禁物だ。同じような花でも異なる場合が少なくない。ベテランは花より葉をよく観察する。一番下の写真はヨツバシオガマだが、これは間違いない。

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 室堂と南竜山荘の分岐点を過ぎると、平坦な道になった。見上げると、青空がのぞいていた。やがて今夜泊まる南竜山荘が見えてきた。すぐ上まで雪渓が迫っている。山小屋のベッドにリュックを運んだ後、外のベンチでウイスキーを飲んでいた。すると、二組の夫婦が同じテーブルに座った。何と和歌山の隣町の人たちで、にわか県人会と相成った。

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 翌朝は小雨が降っていた。朝食の前、沸かしたコーヒーを飲みながら、恨めしく空を睨んだ。朝7時、雨具を着込んで出発した。前日、下山してきたおばさんたちと立ち話をした。二日間とも雨に降られたらしいが、「私たち登山というより、花を見に来たのよ」と強がり言っていた。なるほどそんな言い方があるもんだ。

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 頂上へ向かうにはいくつもルートがあるが、私たちはエコーラインを登った。急な斜面のため道はつづら折りになっていた。それに沿って様々な高山植物が雨に打たれていた。それはそれで風情があるが、「花を見に登ってきた」という強がりはとても言えず、雨は残念至極・・・。

 ナナカマドが群生していた。秋になればさぞや紅葉して美しいだろう。黄色いニッコウキスゲは、ハッとさせるほど鮮やかだ。ピンク色のコイワカガミはこれから何度も目にするだろう。チングルマも健気に咲いており、すでに花が散り、綿毛になっている場所もあった。

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 急な石の道を登った。やがてイブキトラノオの花の向こうに、室堂の建物が見えてきた。南竜山荘から2時間近くもかかった。相変わらず霧が立ち込めている。これから小一時間かけて最高点の御前峰に登るのだが、深い霧に気勢を削がれた。

 その頂上からは、エメラルドグリーンの水を湛える噴火口が眺められ、白山きっての絶景である。そして、この池を巡るトレッキングは白山登山を締めくくる完結編である。しかし、霧が出れば道が不明確になり、遭難の危険が大きい。われらは果たして行けるのか・・・。     

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光がやって来た・・・ADSLさようなら

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 生石高原にも光回線が引かれ、先日、わが山小屋に引き込む工事が行われた。正直、こんな山奥にまで「光」が来るとは思っていなかったので、意外な朗報だった。携帯電話が通じにくい山間部だが、インターネット環境はこれで都会並みになった。

 インターネットはこれまでADSLという回線を使っていた。料金は高いし、通信のスピードも遅い。このブログもパソコンで書いて送信しているが、写真をアップするのも多少の時間がかかる。

 光回線になって便利になったのは、Googleの地図を見る時だ。地図を大きくしたり小さくしたりする時はすぐ反応するし、スクロールして地図の場所を変える時も早い。光を使って数日になるが、このスピードが当たり前のように思い始めている。人間というのは、実に勝手な生き物だと思う。

 例えば、いつも通る道路でも同じことだ。私たちは、大津の自宅から生石高原までを移動するのに無料の「京奈和道路」を通っている。10年ほど前はまだ開通していなかったので、奈良市-橿原-五条-橋本を結ぶ国道24号線を利用していたが、その後、京奈和は次第に整備され、所要時間は1時間ほど短縮された。

 長時間運転で苦労したあの頃のことをすっかり忘れ、この便利さを当然のことと受け止めている。そして、道を延伸してもっと便利にしてほしい。舗装をやり直して走りやすくして欲しい・・・などと欲は際限なく広がるのだ。

 ただ、人間の忘れるという脳の仕組みは、素晴らしいことだと思う。自分の無知をさらしたこと、酔った上での暴言、女性から軽蔑されたことなど、一々覚えていたら恥ずかしくて生きていけない。人間の多くは不完全であり、忘却なくしてまともに生きられない。

 ただ、男と女では、忘却には濃淡があるようだ。女房などは、今でも「あの時は私を蹴った」「風邪をひいているのに、食事を作れと言った」としつこく昔のことを言い、そしてまたよく覚えているから、閉口する。何とかならんかと思う・・・。

娘に蕎麦打ちを実演。その味は・・・

 深夜、娘が山小屋にやって来た。日ごろのストレスを癒すためか、それとも愛犬ぴーに会いたいためか・・・。もともとぴーは娘が飼っていたが、転勤先の住宅事情のため、私たち夫婦に押し付けて転勤して行った。

 以来4年経ったが、今はもうわれら夫婦の実子のような存在である。「生みの親より育ての親」という言葉があるが、娘が呼んでもぴーは私の股ぐらに体を預けたまま動こうとせず、育ての親に対する恩義と情愛を感じているのだ。遠路やって来た娘にはちょっと気の毒である。

 さて、娘には是非、美味しい打ちたての蕎麦を食べさせたいと思った。私たち夫婦が蕎麦打ちに入門したのは今年4月だから、もう3か月が経過した。この間、蕎麦道場で3回、自宅で4回蕎麦打ちを練習してきたから、そこそこ打てるようになった。

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 私たちが打つのは「二八蕎麦」というもので、蕎麦粉が8に対し、つなぎの中力粉が2という割合で、ごく一般的なものだ。女房がこの比率で軽量した粉を私がふるいにかけ、こね鉢で丁寧に混ぜ合わせる。

 続いて水を加えて練るのだが、この水加減が出来栄えを左右すると言われる。最後の微妙な所では霧吹きで加湿する技は道場で教えてもらった。次は練り込みだが、これはかなりの力仕事である。非力な私より、女房向きの工程だ。

 練り込んだ塊をのし棒を使って直径50センチほどの円形に延ばし、さらに薄くして長方形に形を整える。女房はこれが苦手で、作業を交代すると案の定、親指で生地に大穴を開けてしまった。修復不能だが、蕎麦の出来に問題はない。

 最後は専用の包丁を使って麺切りである。われら素人がやると、きし麺のように幅広になったり、素麺のように細くなったりする。まぁ、不揃いの蕎麦も愛嬌で、これが手打ちの味わいでもある。これを大鍋で茹で、私が釣ったアオリイカの天麩羅などとともに食卓に載せた。

 娘がどのような感想を述べるか、興味津々である。彼女は美味しいものを食べるため、時に外国にまで足を伸ばす。今時のグルメ女子だが、その分、理屈も多い。

 黒と言えば白、右と言えば左と答えるアマノジャクでもあり、いきなり「どうや、美味しいやろ」と、押し付けるような聞き方をしてはいけない。「忌憚のない意見を聞かせて欲しい」と厳粛に質問した。娘は蕎麦を噛みしめ、しばらくして小声で言った。「おいしい」。娘にしては最高の褒め言葉だった・・・。

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インカのジャガイモを試し掘り

 この春、女房がインカで栽培されていたジャガイモを植えた。通販で種芋を買ったが、毎年植えている「キタアカリ」よりも倍ほどの値段だった。「インカのめざめ」というブランドで、日本向けに改良された品種だという。

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 その成長を見守ってきたが、茎が細く、どこか弱々しい。ちゃんとした芋が収穫できるか不安だったが、昨日、試し掘りをしてみると、芋は意外と大きく育っていた。一つの種芋で平均4個くらいだから、キタアカリよりも収穫量は少ない。

 芋の表面は黄色味を帯び、断面はもっと黄色い。早速その晩、唐揚げにして食べたが、味は濃厚だった。ほくほくという表現がぴったりだ。まるで栗のようだった。

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   ↓ インカ芋の唐揚げ(鮎は昨年の冷凍もの)
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 ジャガイモの原産地は南米アンデスだ。16世紀、スペインがインカを征服した際、ジャガイモを持ち帰り、ヨーロッパに広めたとされる。

 昨年9月、夫婦でペルーを旅行したが、食卓に載ったジャガイモを食べながら、その時に見たアンデスの風景を思い浮かべた。

 インカの首都だった標高3400mのクスコからバスでオリャンタイタンボに向かい、ここでマチュピチュ村行きの列車に乗った。列車から見た風景は忘れられない。雪を頂いたアンデスの山々、その裾野にわずかばかりの畑が続いていた。多くはトウモロコシのようだったが、おそらくインカのジャガイモも栽培されていたに違いない。畑では牛が草を食んでいた。

 その翌日、マチュピチュに登った。遺跡の素晴らしさはもちろんだが、天空に延びる段々畑に圧倒された。ガイドによると、そこではトウモロコシとジャガイモが栽培されていたと言う。雨が豊富で、寒暖差のあるここでは、甘くて美味しいジャガイモが育ったのだろう。

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 私の友人はパリに数日滞在しただけですっかりパリにかぶれて帰国したが、私たちもペルー旅行でとことんインカにかぶれてしまった。インカのジャガイモを栽培したのも、インカかぶれである。ジャガイモをほうばりながら、アンデスの風を感じたいと思う・・・。
 

アサギマダラが集う楽園にしたい・・・

 あの時は、居間からぼんやりデッキの向こうの森を眺めていた。すると、視線の片隅を茶色っぽい蝶が横切ったように思えた。思わず女房に「来たぞ」と叫んだ。女房は「何よ、突然」と気のない返事をし、畑で収穫したラッキョの蔕(へた)を切っていた。

 蝶は、あの美しいアサギマダラに見えたのだ。すぐにデッキに出てみたが、姿はなかった。山小屋の裏手に回って探したが、見つからなかった。ここには様々な蝶が飛んでいるが、このような茶色がかった蝶はアサギマダラに違いないと思った。

 ただ、アサギマダラがここ生石高原に姿を現すのは、少し早いように思う。例年、真夏のころから10月ごろにかけてよく見かけるのだが、ちなみに去年のブログを見ると、8月10日に目撃した時のことを書き、10月6日には女房が蝶の羽に捕まえた日時と場所を記す、いわゆるマーキングしたことを書いている。

         ↓ 昨年8月、わが家に飛来したアサギマダラ
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 もしあの蝶がアサギマダラでないとしたら、早く来て欲しいという深層心理が働いて幻を見たのかもしれない。この時期になると、屋外に出ればあたりを見回し、アサギマダラが飛んでいないか確かめるのが習慣になっている。飛来を待ちわびているのだ。

 アサギマダラは、最大2000㌔も移動する「旅する蝶」だ。南は台湾、北は北海道で姿が確認されており、暖かい九州や南西諸島などで冬を過ごし、その後、本州の涼しい山地などに移動するらしい。寿命は4、5か月ほどで、旅を続けながら子孫を遺すのだ。近年、蝶を捕まえてマーキングする人が増え、生態が明らかになりつつあるという。

 一昨年秋、あるNHKのドキュメント番組を見た。熊野古道の伊勢路に暮らす79歳と76歳(当時)の老夫婦は、鍬を振るい、草を刈り、すたれてしまった古道を復活させたのだ。頭の下がる奉仕作業である。

 老夫婦は、昔からこの地に美しい蝶が飛んで来るのを知っていた。それがアサギマダラだった。たくさんこの蝶に来てもらいたいと願い、自宅の畑にアサギマダラが好むフジバカマの苗を3本買ってきて植えた。2014年は「30匹ほどが飛んで来た」とうれしそうに話した夫婦の笑顔が実に素晴らしかった。

 昨年夏に岐阜県へ旅行した時、山の原野にフジバカマが群生しているのを見つけた。少々後ろめたい気持ちもあったが、フジバカマを3株ほど引っこ抜いて持ち帰った。あの老夫婦のように、私たちも生石高原の山小屋にフジバカマを植え、アサギマダラの楽園にしたいと思ったのだ。

 根付くかどうか心配したが、今春、三つの株から無事小さな芽が出てきた。毎日のように生育状況を観察するのが楽しみになった。そして1週間ほど前、ひと株から花芽が出た。薄紫の花が咲けば、アサギマダラが蜜を吸いに集まるかもしれない。

 実は以前、大津の自宅の庭にフジバカマを植えていたが、余りにも繁殖力が強いので、女房が全部刈り取ってしまった。山小屋にはまだ3株しかないが、この経験に照らせばみるみる増えるはずだ。アサギマダラの楽園を想像しながら、飛来を待っている・・・。

   ↓ 京かのこの花の向こうにあるのがフジバカマ
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    ↓ フジバカマに花芽が出た
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ササユリが咲いて、いい匂いを放つ

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 目覚めると、今朝も雨が山小屋の屋根を叩いている。空梅雨が一転、梅雨らしくなって4、5日になる。いつものように、ロフトから居間に降りてコーヒーを沸かした。ガラス戸のカーテンを引くと、ウッドデッキではヤマガラが2羽、3羽、雨に打たれながら戯れている。餌台にヒマワリの種をひとにぎり置いてやった。

 朝食前、長靴をはき、傘をさして外に出た。濃くなった緑の中で、ひと際鮮やかにササユリが可憐な花を咲かせている。毎朝、花を眺めながら見回るのが楽しみだ。驚くほど濃いピンク色の花があれば、白い花もある。アジサイは土壌によって色が異なるといわれるが、ササユリはどうなのだろう。

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 この春、これまでになくたくさんのササユリが芽を出した。注意しないと、踏みつけてしまうほどの多さだ。数えた訳ではないが、100株は下らないと思う。その半分以上は花芽を付けていて、梅雨に入って花を咲かせた。ササユリは種が落ちて6年以上の年月を経てやっと花を咲かせるが、満を持して咲いた花は愛おしい。

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 3日前、ササユリの花が三つ落ちているのを見つけた。花の根元が刃物で切ったように切れ落ちていた。おそらく、野鳥がつついたのだろう。もったいないので家に持ち帰り、グラスに水を入れて生けておいた。するとたちまちササユリのいい匂いが室内に満ちた。匂いは甘く、どこか切ない。

 NHKのニュースで、湿度と香りの関係について解説していた。それによると、湿度が高いと香りが下に落ちてくるので、梅雨時分は花の香りが強いということだった。なるほど、ササユリを観察していると、いい匂いが鼻腔をくすぐる。花の寿命はそう長くはないが、開花していない株もあり、当分は楽しませてくれそうだ。

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