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日本を夢見たゴッホ

 京都国立近代美術館で開催されているゴッホ展を見に行った。昨年夏には札幌で、秋からは東京、そしてやっと京都に巡回してきた。心待ちにしていた美術展だった。作品40点のほか、ゴッホが魅了されたとされる北斎や広重の浮世絵も、対比しやすいように展示されていた。会場は割りとすいていたので、ゆっくり鑑賞することが出来た。

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 37歳の若さでこの世を去ったファン・ゴッホは900点ほどの油彩を残したが、傑作とされる作品のほとんどは晩年の2年半の間に制作されたという。黄色や青色の強烈な色彩、力強い筆致には、ゴッホの短い人生が凝縮されているかのようだ。彼は自分の胸をピストルで撃ったとされ、その死もまた作品と同様、衝撃的である。

 ゴッホ展のテーマは「巡りゆく日本の夢」である。オランダからパリに移り住み、画商の家で見た浮世絵から強い感銘を受け、遠く離れた島国日本と日本美術に強い関心を持った。多くの浮世絵を収集し、日本に関する本を読み漁ったという。下の絵は、浮世絵師・溪斎英泉の花魁(おいらん)を模写した作品だ。

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 やがてゴッホは、浮世絵に描かれた鮮やかな色彩を求め、南フランスのアルルに旅立った。1888年のことだった。友人に宛てた手紙の中で、「空気の透明さと明るい色彩は、僕には日本のように美しく見える」と記し、彼にとってアルルは理想郷となっていった。

 私はかねてから、ゴッホの日本に対する「買いかぶり」が気になっていた。日本には四季に移ろう豊かな自然があるが、ゴッホがアルルで描いた光り輝く光景とは少し違うような気がしてならない。何かの勘違いで、ゴッホの中で日本の美が増幅して行ったとすれば、何の関係もない私までも申し訳ない気持ちになってしまう。

 ゴッホは、40点近い自画像を描いたとされている。風景画もいいが、私は自画像が好きだ。そこにゴッホの人生や人間性のようなものが垣間見えるからだ。自画像の多くは気難しい表情をし、じっとこちら見ている。ゴッホの表情が悲しげに見えてしまうのは何故だろう。晩年、耳を切り落とすなど精神を病んでいたことが背景にあるのかもしれない。

 会場に展示されている「カンバスに向かう自画像」では、絵筆をとる生真面目な表情が印象的だ。軽薄なところが一切なく、口数も少なかったように思う。この作品は、アルルに行く直前の作品だそうだ。描かれている衣服は労働者が身につけていた質素なものらしく、作品がまったく売れない画家にふさわしい。

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 自画像の中でも、「坊主としての自画像」が最も好きな一枚である。展覧会には出されていないが、髪は丸刈りで、日本の僧侶を描いたのだろう。日本的な文化や精神性を求めていたことがよく分かる作品だと思う。この作品もそうだが、ゴッホの表情は何かを思いつめているように見え、次第にいたたまれなくなってしまう。

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 2、3か月ほど前、NHKテレビでゴッホの足跡を辿る番組があった。案内役は吉岡理穂さんという初めて見る女優さんだ。彼女はアルルを訪ねたあと、どうしても見たかったという「花咲くアーモンドの枝」(下の写真)という作品を美術館で対面した。その時、彼女は感動の余り、真珠のような一筋の涙を見せた。

 私はその美しい涙に見とれた。正月に帰省した娘にそのことを話すと、「彼女って、女性からは嫌われているのよ」と言った。嫌な言い方をする娘である。まぁ、どうでもいいことだが、このブログを書いていてそんなことを思い出した。ともかく、ゴッホの絵はいい・・・。

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南山城のキラ星・・・観音寺の十一面観音

 6年前、十一面観音菩薩の巡拝を始めたのは、井上靖の小説「星と祭」に影響されたからだ。小説の主人公の男性は、琵琶湖で遭難した娘の霊を弔いながら、湖北地方の十一面観音を巡るというストーリーである。「観音の里」と呼ばれる湖北には、中世の戦乱を逃れた観音像が数多くあり、地域の人々に守られ今に伝わっている。

 私は、小説に登場する湖北地方の観音像の多くを拝観し、さらに京都や奈良を始め、若狭地方にも足を伸ばして名作を巡った。重要文化財は全国に200体ほどあるが、国宝は奈良に3体、京都2体、大阪と滋賀にそれぞれ1体の計7体しかない。そのうちの5体はすでに拝観しており、残りは京都と大阪の2体だけである。

 そこで今回は、京都南部にある京田辺市の観音寺へお参りすることにした。大津の自宅からは車で1時間ほどだ。いわゆる南山城と呼ばれる地域で、奈良と隣接しているため古来から奈良の影響を色濃く受けた。ここも湖北と同じように、天平から藤原時代にかけての十一面観音が点在している。

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 観音寺の十一面観音は、本堂の立派な厨子に納められていた。かつては秘仏だったらしく、その身代わりの「お前立ち像」も一緒に祀られていた。立ち姿は実に優美で、顔立ちは温かみにあふれている。頭上にある十一の仏はすべての方向に目を配り、悩み、苦しむ人々を救済しようとする。

 像は天平時代の作で、高さは172cm余り。木心乾漆造りと呼ばれる技法だ。木と麻布で大まかな仏像の形を作り、その上に漆を塗り重ねるもので、木彫の仏像と比べると、ふくよかで柔らかな線が特徴だ。奈良・聖林寺の国宝も同じ技法で作られ、雰囲気が似ている。興福寺の阿修羅像など八部衆も乾漆造りで、独特の表情を作り出している。

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 さて、本堂に入ると、ここの住職が十一面観音の由来や寺の歴史などを解説してくれる。参拝者が来る度に同じ口上を述べられ、失礼な言い方をすれば、静かに拝観したい私にとってはやや耳障りである。仏の姿を目に焼きつけ、心に刻もうとしている時に、住職の声が聞こえると正直気が散るのだ。

 本堂を出ると、太い竹が何本も置いてあるのに気付いた。これは東大寺二月堂の修二会(お水取り)の松明(たいまつ)に使われるという。いずれも根が付いたまま掘り起こされており、毎年2月11日の早朝に観音寺を出発、二月堂に届けられる。お水取りの本行は3月1日から2週間、これが終わると春が来る。

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 観音寺を後にすると、家内が一休寺に立ち寄りたいと言った。独身時代、茶道の仲間と来たことがあるという。車だったら10分もかからないはずだ。室町時代の禅僧一休さんが暮らした寺で、宮内庁が管理する墓がある。大徳寺の住職になった時も、この寺から通ったと言われる。

 静かな参堂を歩いて方丈に向かうと、その手前に菊の紋章の門があった。中には入れないが、ここが禅師の墓所だ。方丈には、庭園を囲む回廊があり、枯山水を前に静かなひと時を過ごした。四季にはそれぞれの良さはあるが、色彩にとぼしい冬の禅寺もまた心が落ち着く。何より、冷気みなぎる緊張感が私は好きだ・・・。

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ふんぞり返る北朝鮮・・・五輪参加へ

 平昌五輪を巡る韓国と北朝鮮の対話が続いているが、どちらが開催国か分からないほど変な感じだ。北の代表団の態度は横柄だし、妙に血色もよく、顔はツルツルしている。逆に韓国勢の顔色は冴えず、腫れ物にさわるような卑屈さが垣間見える。

 昨年、文在寅さんが大統領に就任した時から、北朝鮮に五輪参加を呼びかけていた。すると北の金正恩委員長が新年早々、意表を衝くように「代表団を派遣する用意がある」と言ったから、さぁ大変。文大統領はわが意を得たとばかり、舞い上がってしまった。

 ふと、こんなパロディーを思い浮かべてしまった。
 
 -- 隣人の「ならず者」と街で出会い、別れ際に「うちの家にも遊びに来てね」と言っておいた。それは社交辞令だったが、ある日、ならず者は仲間たちを引き連れて本当にやって来て、焼肉やキムチを食べ、マッコリを飲んで大騒ぎした。

 注意すると、「遊びに来いと言っのは、そっちじゃないか」とすごんできた。それに、頼みもしないのに、町内の祭りに美しい女性の応援団を派遣してやると言った。無下に断る訳にもいかないが、ギャラを要求されるかもしれず、素直に喜べなかった --。

 南北対話は、五輪を盾にした人質外交そのものである。韓国は、いまひとつ盛り上がらない冬の五輪を何とか成功させたい、そのために北が選手を派遣してくれれば注目もされる。

 北はそんな韓国の足元を見透かすように、ふんぞり返っている。詳しい中身は分からないが、色々と無理難題を押し付けているのだろう。韓国としては、国際社会の目もあるので全部受け入れることが出来ず、困っているかもしれない。ただ文大統領が北に大変な愛着を持っているので、北はまさにそこを突いているのだ。

 五輪はアスリートたちの祭典である。しかし北はそんなものはそっちのけ、美女軍団や芸術団みたいなものを派遣し、歌って踊って注目を集めようとするだろう。派遣人員は不明だが、何千万、何億円の交通費や滞在費は結局韓国が払うことになるだろう。核開発に対する国連制裁との整合性も問題になるだろう。

 文大統領のように、無邪気に喜んでばかりいられない。例えば、女子アイスホッケーだ。どうやら17日の南北交渉で、統一チームを編成することが決まったようだ。もしそんなことになったら、五輪のために努力してきた韓国選手23人のうち何人かは出られなくなる。選手たちはどんな気持ちだろう。まさに政治的な配慮であり、屈辱的でさえある。

 南北会談で様々な事柄が決められても、北朝鮮はちゃぶ台返しが得意芸だ。予断は許さない。良かったのか悪かったのかは、五輪の閉幕後になれば分かる。北が1発でもミサイルを撃てば、核とミサイル開発の時間だけを与えたことになる。世界から笑われ、多くの人たちが「あの国がまたか・・・」と鼻白むことだろう。

              エピローグ・・・悪い冗談

 五輪が終了し、北朝鮮の高官や選手団、応援団は板門店を通って帰国の途についた。その一行に、大きなスーツケースをいくつも手にした屈強な男たちが付き添っていた。スーツケースは帰国後、直ちに将軍様に届けられた。中を開けると、ドル紙幣の札束がぎっしり詰っていた・・・。

東シナ海・・・深海の攻防

 私のボート釣りのホームグラウンドは、紀伊水道に面する由良湾である。この湾の奥には、海上自衛隊の由良分屯基地が置かれており、しばしば潜水艦が停泊している。(写真は釣りの時に撮った由良湾の潜水艦)

 潜水艦は神戸の造船所で建造されており、ほぼ完成すると由良湾に来て、朝になると紀伊水道に出て様々な試験を行っているようだ。海上自衛隊は潜水艦を16隻から22隻態勢に増強しつつあり、由良湾で最新鋭の姿を見ることが出来る。

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 米ソ冷戦時代を描いたトム・クランシーの小説「レッド・オクトーバーを追え」や、吉村昭の「深海の使者」など潜水艦を題材にした本を何冊か読んだことがあり、軍事オタクではないが、謎と戦略性に満ちた潜水艦は好奇心をくすぐる。

 釣りに行って潜水艦を見つけると、ボートを近付けて見物したり、併走したりすることもある。併走するといっても、潜水艦は速いのですぐに追い抜かれる。建造中の潜水艦は「そうりゅう型」という最新鋭で、特殊なエンジンを積んでいるので3週間以上も潜ったまま航行できるが、詳しいことは分からない。潜水艦は秘密の塊なのだ。

 先日、中国の艦船と潜水艦が東シナ海の日本領海に近い接続水域を航行した。中国は領土への野心から、尖閣を中国の領土と主張し、艦船や海警局の公船を派遣して日本にちょっかいをかけてくる。

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 新聞報道によると、海上自衛隊は二日くらい前からこの動きをキャッチし、追尾していた。潜水艦は潜没航行していたが、さる12日、公海上で突如浮上し、中国国旗を掲げたという。マスコミの大方の見方は、浮上したのは日本に対する威嚇だとしている。

 しかし、ミステリー好きの私の読みは違う。中国潜水艦は、日本の艦船や哨戒機、あるいは潜水艦にしつこく付きまとわれ、音波を照射され続けて根を上げたのではないかと睨んでいる。海中での音波はブザーのようにうるさく、しかも魚雷で攻撃するため音波を照射することもあるので、乗組員は恐怖を感じるはずだ。

 潜水艦の本領は、隠密行動にある。浮上して日本を威嚇するなんて笑止であり、姿を現すのは白旗を掲げるに等しい。どこまでも潜行して行動を謎にしておくのが最良なのだ。

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 それにしても、海上自衛隊は中国の潜水艦をよく見つけたものだと思う。日本の探知能力は、ソ連の潜水艦と対峙していた冷戦期に鍛えられ、その能力は世界トップクラスと言われる。自衛隊は2日前から追尾を始めたと言っているが、実際はもっと以前にキャッチしていた可能性が強いと思う。

 普通は探知しても、その能力をさらすことになるので詳しく発表しないが、今回は航跡図まで示して明らかにした。中国潜水艦の動向はいつも監視していますよというシグナルだろう。近隣国の潜水艦については、スクリュー音などの特徴がデータベース化されており、浮上して国旗を掲げなくても、詳しく把握していたはずだ。

 一連の報道の中で、海上自衛隊の潜水艦については一切触れられていない。しかしまず間違いなく、自衛隊の潜水艦が追尾していたはずだ。そして今も、再び潜行した中国潜水艦をとことん追い続け、東シナ海の深海で聞き耳を立てているだろう。 

ちゃぶ台返しは韓国の伝統芸か・・・

 謝罪というのは、なかなか難しいものだ。私のような関西人が「すんまへん」と言えば、関東の人たちには軽々しく聞こえるかもしれない。誠意をもって謝っても、人によっては「心がこもっていない」「口先だけだろう」と受け取られることだってある。

 韓国の文在寅大統領は、慰安婦問題についてまたも日本側にさらなる謝罪を求めた。韓国政府は、慰安婦についての日韓合意を検証した上で、元慰安婦の名誉や尊厳を回復するため日本側に「心のこもった自発的な謝罪」を要求したのだ。

 これまで日本は何度謝罪しただろう。謝罪してもその都度、韓国側は誠意が感じられない、本気度が伝わってこないなどと、様々な要求を突きつけ、ゴールポストを動かし続けた。

 だから日韓両政府はそんな歴史にピリオドを打つため、2015年12月、もう二度と慰安婦問題を蒸し返さないとする合意を交わした。その代わり日本政府は、安倍首相がおわびの気持ちを表明し、元慰安婦を支援する財団に10億円を拠出することにした。

 「最終的かつ不可逆的な解決」という舌を噛みそうな表現だったが、その内容は国際社会から高く評価され、日韓の新しいページになるはずだった。しかし、その当時から合意に懐疑的な意見は少なくなく、やはりその通りになった。北朝鮮もそうだが、ちゃぶ台返しは、朝鮮半島の伝統芸なのかと言いたくなる。

 昨日の記者会見で文大統領が突きつけた謝罪要求は、あきれるばかりの「クセ球」だった。「被害者たちが許す時が本当の解決」というのだ。高齢者が多い元慰安婦が亡くなっても、次は「国民感情」という高いハードルが立ちはだかる。文大統領は、永遠に謝罪せよ言っているに等しいのだ。

 かつて、朴槿恵・前大統領はいみじくも、「加害者と被害者の立場は千年経っても変わらない」と発言した。気の遠くなる話であり、無力感さえ覚える。このような場合、福沢諭吉翁の「脱亜論」を持ち出すのは心苦しいが、執筆から130年以上経っても、なるほどと思わせる記述だと思う。

 脱亜論を現代文に訳する文章は色々あり、次の文章はそのうちの一つである。「シナと朝鮮は国際法や国際的マナーなど踏みにじって恥じぬ国であり、日本も同じアジアの国であるので、世界から同じ穴の狢(むじな)と邪推されかねない」・・・。翁が心配したように、韓国は今まさに日韓合意を踏みにじった。

 翁はさらに続ける。「シナと朝鮮が、隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない」とし、「国際的な常識に従って接すればよい」と結論付ける。そして最後に、この東アジアの悪友と絶交すると宣言した。

 ここまで過激になる必要はないが、日本政府はひたすら「合意を守れ」と言い続けるだけでよいと思う。ただ頭にきたのは、朝日新聞の社説だ。菅官房長官が「1ミリたりとも合意を動かす考えはない」と述べたのに対し、朝日は「硬直姿勢をとるのは建設的ではない」と書いた。

 何が「硬直姿勢」なのか。そもそも、日本軍が慰安婦を強制連行し、性奴隷にしたと報道したのは朝日新聞だ。これはペテン師のような男の嘘八百を記事にしたもので、「世紀の虚報」だった。慰安婦問題は朝日が播いた種である。そんな朝日に「建設的でない」と言われては片腹痛い・・・。 

愛犬ぴーちゃんの逆襲

 親バカという言葉があるけれど、自分の犬を過剰に褒めるのは何と呼ぶのだろう。まさか「犬バカ」とは言わないだろうが、愛犬を自慢したくなる気持ちはよく分かる。私もそんな人種の一人である。

 わが家の犬はシーズという種類で、オスの9歳だ。名前は「ぴー」。元は娘が飼っていたのだが、転勤でペットを飼えない住居に住むことになり、娘はぴーの養育を放棄し、私たちに押し付けてすでに6年が経っている。

 今年は戌年で、ぴーは年男である。実は先日、その彼がちょっとした騒動を引き起こしたのだ。詳しくはもう少し後で書くが、その前に自慢話を少々・・・。

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 ぴーは私が引きこもっている部屋で一日の大半を過ごしている。私のまたぐらやソファの上で寝そべり、大きないびきをかいたり、意味不明の寝言を発したりしている。夜は家内の布団で眠り、家内にも甘えている。そんなバランス感覚に優れ、如才のない性格である。

 なかなか聞き分けもよく、「待て」も「よし」も理解している。外出が好きだが、「お留守番」と言えば観念し、悲しげな表情で見送ってくれるのだ。水が飲みたい時、コタツの中に入りたい時など前足でちょいちょいとシグナルを送る利口者でもある。

 さてその騒動だが・・・。私の部屋で新聞を読んでいると、視野の片隅に異物が目に入った。よく見ると、それは犬のウンチであり、ゴルフボールほどの大きさだ。散歩の時以外にウンチをすることはなく、体調がおかしいのかもしれない。ともかく、始末してもらうため、家内を呼びに行った。

 すっ飛んできた家内は「ぴーちゃん、何したの。だめじゃない。あほ」と言葉汚く糾弾した。これくらいでやめておけばいいのに、ウンチをした場所にぴーの顔を近づけ、執拗に罵倒し続けた。すると、穏健で人懐っこい彼もついに態度を豹変させ、「ウー」と唸って歯をむいた。それがまた家内の怒りに油を注いでしまった。

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 まぁ、それだけのことならよくある話だが、さらに強烈な続編があった。

 騒動のあった晩、家内はいつものように自分の部屋でぴーと同じ布団で眠った。家内の話によると、午前2時ごろ、ふと目が醒め、何気なく布団から手を出すと、顔のすぐそばで柔らかい物に触れた。電灯をつけると、何とまぁ、彼のウンチがとぐろを巻いていたのだ。

 慌しい音で私も目覚め、家内の部屋を覗いてみた。家内は布団の上にへたり込んでゲラゲラ笑っていた。自分の鼻先に大量のウンチをされ、気付かなかったのだから怒る気力も失い、ただあきれ返っていたのだ。そのそばでピーは、何事もなかったようにキョトンとしていた。

 賢いぴーがなぜこんなことをしたのだろう。家内からこっぴどく叱られたことへの仕返しに違いないが、しかしもう一つ。新年は娘や息子夫婦、孫が来てにぎやかだったが、逆にぴーをかまってやれず、淋しい思いをさせた。ウンチをして振り返ってほしかったのだと思う。今はそれに気付き、ぴーをひしと抱きしめている・・・。

家宝の軸を掛ける

   明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

 新年を迎え、戌年にふさわしい一幅の軸を掛けた。「初笑」の 墨書に、子犬が描かれている。この掛け軸は24年前の戌の年に、表千家の千宗左・十四代家元から戴いたものだ。家元直筆の掛け軸は、わが家の家宝である。

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 このように書くと、家元と懇意のように思われるが、そうではない。実は、表千家、裏千家、武者小路千家の茶道三千家はそれぞれ、新春恒例の行事として政財界などの有力者を招いて初釜を催すのだが、私はわが社の社長の代理、そのまた代理の代理として末席にかしこまったのだ。

 初釜では、表千家の由緒ある茶室で、家元が点(た)てた濃茶を約20人ほどの参加者が回していただく。茶碗はどんぶり鉢ほどの大きさで、結構重い。作法はそれほど難しいものではないが、恥をかかないよう知り合いから手ほどきを受けて本番に臨んだ。余談だが、濃茶をいただくと口の周りがべっとりと緑色になり、拭き取らないと失笑を買う。

 これが終わると別室に移り、お屠蘇をいただきながら抽選会が行われる。私が引いたくじは三等賞だった。その景品として頂いたのが家元直筆の掛け軸で、桐の箱には花押が記されていた。

 下衆な話だが、花押は鑑定書のようなもので、これを書いてもらうのには結構な謝礼が必要である。もし金に困ったわが子孫が、掛け軸を「なんでも鑑定団」に出して売り飛ばすようなことがあっても、花押を記した箱書きがあるのでしかるべき値段が付くだろう。

 余談をもう一つ。同じ24年前、初釜の先陣をきって行われた裏千家の初釜のことである。表千家と同じように、お屠蘇の後に抽選会があり、三宝から最後に残った一枚を引いた私は、一等賞の幸運に恵まれた。残り物に福があったのだ。景品は、唐津焼14代中里太郎右衛門の抹茶茶碗だった。

 裏千家の人から「これを売るようなことをしてはいけません。出所が分かるようになっています」と慇懃(いんぎん)にクギを刺された。それにしてもこの年の初釜で、1等と3等をゲットする幸運に恵まれた。この時、私の人生の幸運をすべて使い果たしたのか、その後、特別いいことはない。

 あれから24年、もうそろそろ幸運がやって来てもいい頃である。平成30年はいい年になるだろうか。そんな願いを込めて、「初笑」の掛け軸を見つめている・・・。

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