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2018年09月22日 森に暮らすひまじん
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  今年の夏山登山は、私事で何かと忙しかったので、お盆明けに挑戦しようと決めていた。目的の山は、北アルプスの槍・穂高連峰の真ん前に対峙する蝶ケ岳(2677m)だ。これまで夫婦で槍を始め、いくつかの穂高の山々に登ってきたが、自分たちの年齢を考えると、今回の山行は最後の北アルプスになるかもしれない予感があった。

 だから何としても登りたいと思い、お盆が明けると毎日何回もネットで天気予報をチェックした。私が重宝している予報サイトは「てんきとくらす」というもので、A、B、Cの3ランクで表示している。しかし最高Aランクの日はほとんどなく、そのうち8月24日には台風20号が本土に上陸、わが家では24時間も停電になった。

 8月中の登山が不能になったばかりか、今度は強力な台風21号が9月4日に上陸し、列島に強烈な風雨をもたらした。この台風によって、紀伊山地のわが家では1週間も停電と断水が続いた。しかも裏山の大木が家の屋根に倒れかかり、もはや登山どころではなかった。しかし、登山を諦めきれない。

 台風からしばらくすると、予報サイトに2日間だけAランクが表示された。その前後とも雨の予報になっていたが、1日目に頂上を目指し、2日目に下山すればいい。綱渡りのような日程だが、これを外せば当分好天がやって来ないかもしれない。「台風疲れでしんどいわ」と渋る家内を説得し、行くことにした。

 慌ただしく9月16日に大津の自宅に帰り、翌17日、上高地に向かった。その夜は、井上靖の小説「氷壁」の舞台になった徳澤園に宿泊した。ここには風呂があり、食事もまあまあなので人気がある。埼玉から来たというご夫婦と意気投合、酒を酌み交わし、ぐっすり眠った。夜明け前、外に出ると満天の星空だった。前日まで雲に隠れていた明神岳が険しい山容を見せていた。

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 朝の7時半、徳澤園裏手の登山道に踏み入れた。これから長塀(ながかべ)山(2565m)を越え、蝶ケ岳を目指す。長塀の名前の通り、長い急登が続き、まずは標高差1200mを登り切らなければ、その先の蝶ケ岳に到達できない。シラビソなどの樹林帯の根をまたぎ、梯子を登り、ぬかるみに足をとられながらひたすら登る。

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 展望がきかない単調な道だけに、嫌になるほど長く感じる。登山道にはゴゼンタチバナがたくさん自生し、その赤い実が少し気分を和らげてくれた。やがて平均的なコースタイムより大幅に遅れ、やっと長塀山の山頂に着いた。さらに1時間ほど歩くと池があり、ここからは蝶ケ岳山頂が近いと何かに書いてあった。

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 肩で息をしながら歩いていると、樹林の間から天を衝く槍ヶ岳が見えた。槍ヶ岳には二回登ったが、やはりこの岩の山は圧倒的な存在感がある。やがて森林限界に出ると、前方に常念岳、その向かいに槍ヶ岳が全貌を見せた。そして左手には荒々しい穂高連峰が連なる。

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 これはもう絶景である。感激の余り体が震え、魂をわしづかみされた。テレビなどでよくタレントたちが「絶景!」などとはしゃいでいるが、絶景という言葉を軽々しく使ってほしくない。手が届きそうなほどに迫る槍・穂高。これぞ正真正銘の絶景なのだ。これまでたくさんの山岳風景を目にしてきたが、間違いなく一番だ。

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 座り込んで疲れた足を休めながら、長い時間、山に見とれた。山では午後になると雲が湧き出すが、この日も頂上付近に雲がかかり始めた。しかも逆光なので霞んで見える。翌日も好天の予報だから、いい光景が期待出来る。朝日が頂上から下へと赤く染めていくモルゲンロートの夢のようなドラマを目の当たりに出来れば、もはや言うことない。

 蝶ケ岳ヒュッテで宿泊した翌日は、モルゲンロートを期待して午前3時ごろ目を覚まし、そわそわしながら5時25分の日の出を待った。外気は10度以下に冷え込み、寒さがこたえる。やがて東の空が明るくなり、まずは乗鞍岳が赤くなり始め、続いて穂高連峰へと移っていく。そして、ドカーンと槍ヶ岳の出番である。

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 乗鞍岳をはさんだ御嶽山と焼岳にも朝日が当たった。左へ首を回すと、富士山、その右に甲斐駒ヶ岳、北岳が見えた。まるで夢のような時間だ。家内はそんな絶景を背に、思わず万歳のポーズをしてみせた。

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 昔を振り返れば、家内は槍の頂上で立って歩くことが出来なかった。北穂高岳では、目の前で女性登山者が滑落、ヘリが救助に来た。奥穂高岳から見るジャンダルムは近寄りがたい異界の様相に見えた。目の前の山からは様々な記憶が蘇り、真珠のような涙が私の頬を伝った。

 3000m近い蝶ケ岳ではすでに紅葉が始まっており、ナイフの刃のような常念岳を眺めながら下山にとりかかった。長い下り坂を思うと、気持ちが塞ぐが、歩かねば帰れない。残り2キロほどになった時、丸太の梯子を前向きに降りようと、一段目に腰を下ろした時、激痛が走った。丸太に突起があり、これが尾てい骨を突いた。ズキン・・・。

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 尾てい骨の痛みに耐え、以前から悪かった左足の膝をかばいながら歩いた。快調に下る家内とは対照的に、私は見苦しい老いぼれ登山者である。悲しいというより、惨めであった。北アルプスの神々から「もう来なくていい」と、引導を渡されたような気持ちになった。もう、終わりにしようか・・・。
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