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昭和が終わった夜のこと

 年の瀬を迎え、平成という時代を感慨深く振り返っている。来春には新しい元号とともに新時代を迎えるが、私にとって平成の30年は、まだしも馬力があった壮年から老いへと移行する時代だった。

 新聞社の本社でデスクという仕事についていた昭和63年9月中旬、昭和天皇の容体が急変した。崩御という事態に備え、この日から報道機関は臨戦態勢に入った。禁足令などという指示はなかったが、海外旅行などはもってのほかであり、遠出や深酒を各自が自粛した。

 デスクは、政治や経済、外信、社会など部門ごとに置かれており、記者から上がってくる原稿をチェックし、足らないところがあれば追加取材を指示したりする仕事だ。私はデスクと言っても下っ端で、事件、事故、災害など主に社会面の記事を担当していた。

 容体急変の一報を受け、全社一斉に「天皇崩御の予定稿」を作る作業が始まった。予定稿とは、例えばノーベル賞学者が死亡した時に備え、締め切り時間が切迫していても紙面化できるよう、あらかじめ原稿を作成しておくことだ。

 どの報道機関でも、政治家や有名な学者、文化人、スポーツ関係者らの「亡者予定稿」を作り、いつでも活字化できるようになっている。このような原稿が表に出ることはないが、もし「天皇崩御の予定稿」が誤って活字になれば、編集局幹部の首が飛ぶだけでは済まないだろう。

 崩御の予定稿は、天皇の足跡、人となり、交流のあった人たちの話などが織り込まれ、新聞の紙面でいえば10ページ分でも足りない量だ。もちろん、在りし日の写真も準備しておく。もしその時が来たら、刻々と新しい原稿に差し替え、予定稿はゴミ箱行きである。

 容体急転の日から、重苦しい日々が続いた。天皇の体温や血圧など事細かに報道されるようになり、社会の自粛ムードが高まった。政治家の外遊が取りやめられたり、祭りやイベントの中止、テレビCMの自粛が相次いだりした。

 そして昭和64年の正月が過ぎ、崩御の1月7日を迎えた。前夜は泊まり勤務になっていたので、朝刊紙面の通常の仕事についていた。午前2時過ぎ、最終版の輪転機が回り始め、ひとまず仕事を終えた。出勤時に買っておいたカップ酒を部員たちと飲み、午前4時ごろに届く交換紙を待った。

 交換紙とは、全国紙各社が最終版を交換し合う紳士協定みたいなものである。他紙に特ダネを抜かれていたら、すぐに取材にかからねばならない。特ダネを抜いた時はいいが、抜かれた時は惨めなものだ。部員に「どうなっているんだ」と怒声を浴びせ、悔しさを噛みしめるのだ。

 交換紙を見終わったら、簡易ベッドで横になり、3時間ほどの仮眠をとることになっている。そしてその寝入りばな、ついにこの時が来た。午前6時33分、昭和天皇が崩御。その一報をどのように知り、どのように行動したか、今は何も覚えていない。

 戦場のような1日が終わり、仲間たちと一杯ひっかけるため外に出た。いつも立ち寄る場末の街は異様だった。ネオンが消え、店先の提灯や看板の明かりも消えていた。店を開けていた居酒屋をようやく見つけ、酒を飲んだ。

 あれから30年。振り返ると、明かりが消えた場末の暗く沈んだ光景を思い出す。なぜか、店先に吊るされた小さな黄色の提灯だけが目に焼き付いている。昭和が終わったという感慨はなかったと思う。天皇の容体を見守りながら4か月に及んだ緊張の日々。不謹慎だが、やっと臨戦態勢が解かれたという安堵の方が強かったはずだ。


        この1年、ブログにお付き合い下さった皆さん、どうか良いお年を・・・。
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大津絵は面白い

 大津の自宅から国道1号線を京都に向かって15分ほど歩くと、峠の右手に逢坂の関跡を示す石碑と常夜灯がある。古来、畿内に通じる不破の関(美濃)、鈴鹿の関(伊勢)、この逢坂の関を「三関」と呼んでいた。百人一首には、清少納言の「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」の一首がある。

 さらに、峠を越えてもう少し歩けば、追分の地である。追分とは道が二つに分かれる場所で、各地にその名が残るが、ここは京都と伊勢の方面に道が分かれていたらしい。江戸時代、逢坂から追分あたりにかけては商人や巡礼の旅人、宿の客引きたちでごった返していたといい、街道の両側には土産物を売る店が軒を連ねていた。

 その中に、大津絵を売る店が何軒もあった。ここが大津絵発祥の地らしい。大津絵の職人は、即興のようにさらさらと描き、今の貨幣価値からすると1枚数百円ほどの安さで売っていた。当初は仏画として描かれていたが、その後、人生訓や風刺をユーモラスに描く民衆の絵画として発展した。家の中に貼ってお守りにしたともいう。

 古くは芭蕉が歌に詠み、ピカソや岡本太郎も画風を参考にしたという大津絵が海を渡り、パリで来年4月から6月にかけて、「大津絵-江戸時代の庶民絵画-」と題する企画展が開かれることになった。海外ではこれまで小規模な展示が行われたことがあったが、110点もの本格的な展覧会が行われるのは初めてだそうだ。

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 これを記念した「大津絵・民芸・ヨーロッパ」というシンポジウムが大津市内で開かれ、参加した。参加費は無料で、400の予約席はすべて埋まり、大盛況だった。どちらかというと地味な絵画だが、根強い人気があり、私も大津絵の店に時々立ち寄るなど関心があり、大津絵教室に通うことも考えたことがある。

 大津絵の魅力は、おおらかさにあると思う。浮世絵のような繊細さはなく、どちらかと言うと大雑把である。使われる色の種類も朱、黄、緑、白など7種類と少なく、素人でも描けそうな素朴な味わいがある。絵師は無名で、安く、早く、量産したのが特徴だ。画題は100種類くらいあったらしいが、淘汰されて仏画、風刺画、武者絵、美人画、鳥獣画が残った。

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 代表的な絵は「鬼の寒念仏」だ。角を生やした冷酷な鬼が念仏を唱える場面を描いたものだが、情け深そうなことを言ったり、表面だけ慈悲深いように装ったりすることを風刺した絵である。

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 「猫と鼠」も面白い。猫は鼠を餌とするが、鼠に酌をさせて酒盛りに興ずる遊び好きの猫を描いている。逆に言えば、食われることも知らず酌をする呑気な鼠ということになる。猫に酌をさせ、食われることも知らず、酒に溺れる鼠の絵もある。

 鼠に追われて逃げる鬼など、噴き出してしまうような絵が多い。それにしても、100種類以上もあったとされる大津絵に、宿場町大津や琵琶湖、あるいは近江八景を描いたものが見当たらないのは不思議だ。おおらかな画風と同様、変に地域性にこだわらないところが旅人に受けたのだろうか。

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生ハム作り、二度目の挑戦

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    ↑ 三ツ星レストランのオードブル? 生ハムと干し柿のコラボ

 生ハムを作ってみた。昨年に続き二度目の挑戦である。

 11月の中旬、スーパーで豚の肩ロースを1・2キロ買った。その日のうちに、7対3の割合で塩と砂糖を肉の塊にしっかり刷り込んだ。次は脱水シートに包み、たこ糸で縛って冷蔵庫へ入れた。

 私が使っている脱水シートは「ピチット」という商品名で、これで包むと、水分と臭みを取り除く不思議なシートだ。例えば、新鮮なアジを包めば、おいしい干物が出来上がる。多分、先端技術で生まれた商品だろう。

 翌日、肉を冷蔵庫から取り出すと、ぼとぼととこぼれるほどの水分が沁み出していた。新しいシートに包み直し、今度は3日間、冷蔵庫で寝かす。これを2、3回繰り返し、次は1週間ごとにシートを取り換える。

 ひと月ほどすると、肉の表面に白い斑点がびっしり現れる。これは有害な細菌から肉を守るカビのようなもので、熟成が進んでいる証拠らしい。去年は、これを削り取ろうとしたこともあり、恥ずかしかった。

 先日、和歌山の山小屋へキノコの原木を作りに行った際、生ハムの燻製を行った。スモーク缶内の温度を上げない冷燻という方法で、8時間ほどスモークウッドを燻ぶらせた。ウッドは肉に合うオニグルミを使った。

 早速、試食してみた。去年と同じように、やや塩味が足りないようだったが、口の中にねっとりとまとわり付く食感で、満足できる出来上がりとなった。イタリアなど本場の味は知らないが、自家製ということで、味の程はひいき目になるのは致し方ない。

 この生ハムがあるだけで、晩酌は豊かな気分になる。ナイフで削り取って、そこへエゴマ油を1滴、2滴・・・。ウイスキーが進む。そして、家内が作った干し柿をスライスし、その上に乗せて食べれば、熟成のコラボが妙味を放つ。うまっ・・・。

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山小屋は零下2度だった・・・

 海外旅行の予定がある時は、インフルエンザの予防注射をすることにしている。インフルエンザにかかり、折角楽しみにしていた旅行をフイにしたくないし、キャンセル料を払うのも馬鹿らしい。

 ただ、夫婦そろって近年、風邪をひいたことがない。春は山菜、秋はキノコをふんだんに食べ、免疫力を付けているからだと勝手に信じているのだが・・・。本当の所は、ウイルスなどが少ない和歌山の山暮らしがいいのかもしれない。

 ともかく、大津市内の医療機関で予防注射の予約を取ろうとしたところ、ワクチン不足のためどこからも断られた。窮余の策で、いつも診察をしてもらっている和歌山の医療センターに電話すると、あっさり予約が取れた。地域によってこんなにも違うのかと驚いた。

 和歌山へ車を走らせ、無事予防注射を受けることが出来た。その足で、生石高原の山小屋に向かった。大津へ一時移住する前、キノコの原木を伐っておいたので、これにキノコ菌を打たなければならないのだ。

 山小屋に着くと、余りの寒さに震え上がった。翌朝、居間の引き戸を開けようとしたところ、凍っていて開けることが出来なかった。ガラス越しに外を見ると、小雪がちらついていた。玄関先に吊るしている寒暖計はマイナス2度を示していた。

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 菌打ちはやらなければならないが、寒くてどうしてもその気にならない。重い腰を上げたのは午後からだった。ドリルで原木に穴を開け、そこへ長さ1㎝ほどの菌駒を打ち込むのだが、駒をつかむ指がかじかむので、まずは暖を取るため盛大に焚火をした。

 山小屋裏の杉林には、5種類のキノコの原木が寝かせてある。それぞれかなりの本数があるため、今年はナメコとキクラゲだけの榾木(ほだぎ)を作ることにした。キクラゲは私の好きな豚骨ラーメンになくてはならないし、あのコリコリした食感は中華料理に絶妙である。

 用意した原木は全部で17本。長さが90㎝、直径が10㎝ほどの程よい太さだ。私が電動ドリルで1本につき30個~40個の穴を開ける。そして家内が木槌で駒を打ち込む。まさに夫唱婦随の作業である。駒を打ち込むと言っても、木の表面よりもわずかに沈むように打ち込むのがコツで、家内はそれを心得ている。

 ナメコは2年後の秋に発生し、1本の原木で3~5年ほどの寿命がある。キクラゲは初めての栽培だが、来年夏ごろには出てくるはずだ。冷凍でも乾燥でも、味が変わらず保存できるらしい。山での仕事はこれで終わり、後は来年春の山菜の季節を待つだけである。

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藤田嗣治の裸婦を見る

 先々月だったか、ふと見たテレビで藤田嗣治の没後50年を記念する作品展が開かれているのを知った。会場の京都国立近代美術館は、大津の自宅から1時間もかからないので、和歌山の山小屋から大津に帰ったら是非行ってみたいと思っていた。

 パリ画壇で活躍した藤田画伯は教科書にも載っていたし、おかっぱ頭に丸い眼鏡が印象的だったのを覚えている。自画像にはピアスも描かれていて風変わりなおっちゃんだが、結婚歴5回を数えるモテモテ男だったらしい。

 会場には120点もの絵画が展示され、よくぞこれだけの名品を集めたものだと感心した。作品の多くに猫が描かれているのは有名だが、私は幼少のころ猫に足を引っかかれ、そのトラウマから今なお敵意さえ抱いているのだが・・・。

 さて、会場の中ほどに進むと、乳白色の下地に描かれた裸婦の数々が登場する。これは藤田を代表する作品群であり、余り大げさに言いたくないが、しかしこれはもう圧巻である。ピカソも激賞したという藤田ワールドである。

 乳白色の下地に浮かび上がる裸婦は、陶磁器のような透明感があり、墨による線描がその白さを際立たせている。この白さは何だろうと思う。西洋人の女性に接した時、その白さに驚愕し、興奮し、それを素直に表現したのだろう。

 もし、私が紅顔の美少年のころ、生々しい裸婦の作品を目の当たりにしていたら、それこそ顔を赤らめていただろうが、今はもうすっかり枯れてしまったので、雑念なく豊満な裸体の美しさに感動するのだ。

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 展示が後半に入るとまず、それまでの趣と一変する作品が登場する。太平洋戦争を描いた「アッツ島玉砕」と「サイパン島同胞」の2点だ。目をそむけたくなるような戦争の惨状が、リアルに暗い色調で描かれている。絵の大きさは天井にまで達するような大作だ。

 しかしこの絵を巡り、藤田は戦争責任を問う人たちから戦争協力者として非難された。多分、そんな風潮に嫌気がさしたのだろう、1949年に日本を離れ、フランスに移住した。再び祖国の地を踏むことはなかった。

 彼はこんな言葉を残している。「絵描きは絵だけ描いて下さい。仲間喧嘩をしないで下さい。日本画壇は早く国際水準に到達して下さい」。そして渡仏後、仲間たちに「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」と語っていたという。

 戦後日本の偏狭な人々によって、日本が誇る天才画家にこのようなことを言わせてしまったことに、後世を生きる一人として心が痛んだ。

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カモシカに見送られ

 8か月を過ごした生石高原の山小屋から、大津の自宅に戻る日が来た。これから冬の4か月を大津で暮らしたら、来年春には例年通り、再び山小屋へUターンする予定だ。

 住まいを変えるのだから、鍋釜はもちろん、衣類やパソコン、プリンター、趣味の蕎麦打ち道具など何かと荷物が多くなる。軽トラの荷台にぎっしり積み込んだので、大八車の時代なら夜逃げと間違われるかもしれない。

 山小屋の電源を切ったら、最後に水道の水抜きを行う。これからは氷点下の日が多くなり、水道の水を抜いておかなければ凍結でパイプが破裂する。今年の1月から2月にかけては例年になく寒さが厳しく、この辺りでは破裂による漏水れが相次いだ。

 午前10時ごろ、後ろ髪を引かれながら帰途についた。数百メートル走ると、家内が「カモシカがいる」と声を上げた。高原の駐車場のあたりで、右手の斜面にカモシカがたたずんでいた。20mほど行き過ぎて車を止めたが、カモシカそのままの姿勢でこちらを見ている。

 家内がカメラを手に、車を降りてカモシカに近づき、「お見送りしてくれるの?」などと言いながら、話しかけた。カモシカは人間を恐れる風もなく、キョトンと見つめ続ける。何と愛嬌のある野生動物なんだろう。言うまでもなく、日本の天然記念物である。

 カモシカを目撃するのは今年の4月以来だ。その時は、山小屋のすぐそばにたたずんでいた。数分間見つめ合うと、カモシカは森の中に消えて行った。行動範囲からみて、今回のカモシカと同じだったかもしれない。だとすれば、旧知の仲ということになる。

 余りにも愛らしく、ずっと見つめ合っていたかったが、先を急ぐので5分ほどで車を発車させた。カモシカはずっと、私たちの軽トラが走り去るのを目で追っていた。カモシカが見送ってくれる訳はないが、山を離れる日にこんな出会いがあったのは幸運だった。

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 和歌山を出て4時間ほどで自宅に到着した。荷物の運び込みが終わると、さっそく、私が過ごす部屋にホーム炬燵を運び込んだ。本やテレビに飽きたらそのまま炬燵でうたた寝出来る。まるで独身時代のだらしない下宿スタイルである。

 さて、この冬をどのように過ごすか・・・。毎年、同じことを考えるが、結局、のんべんだらりと過ごしてしまう。今年も一応目標らしきものを考えているが、さてどうなるやら・・・。

わが分身よ、さようなら

 山小屋を数日、留守にしていた。大津の自宅近くの歯医者で歯を抜いてもらうためだ。ちょっと前までは、歯医者に行けば普通に抜いてくれたと思うが、近年は日赤とか市民病院など大きな病院に行かないと、抜いてくれなくなったらしい。

 なぜだろう。万が一の医療事故に備え、大病院であればあらゆる手当てが出来るということかもしれない。病院に行くと、まず地域連携室で手続きをし、それから歯のレントゲン写真を撮る。本当に抜いていいかどうか判定するためだろうが、医院でも撮影しているから二度手間であり、元の写真で判断すればいいと思うのだが・・・。

 無駄とも思えるこのようなことはいくらでもありそうで、国の医療費が際限なく増え続ける要因の一つだろう。

 待合室で目を閉じていると名前が呼ばれ、治療室に入った。医師が3、4人いて、忙しそうにしていた。ドリルやヤスリが置かれた治療用の椅子が4台置かれており、その一つに座らされた。恐怖心はますます高まり、逃げ出したくなった。まな板の鯉は肝が座っていて決してじたばたせず、偉いと思う。

 担当医師は「それでは抜きます」と事務的に言った。「少し、チクッとします」と言って歯の周りに麻酔の注射を打った。「チクッ」どころではなく、物凄く痛い。注射の痛みを和らげる麻酔を打ってほしいくらいだ。それほど痛いのだ。

 麻酔が効くまでしばらく待たされた。やがて椅子の傍らに医師が立ち、「口を開けて。はい、あーん」と言った。いきなり、何かで歯をはさんだような感じがした。麻酔が効いていて痛みは感じないが、歯を引っ張っているようだ。

 どうやら、なかなか抜けないのだろう。そのうち、医師は「うっ」という気合のような声を発した。それでも抜けない。痛くはないが、地獄で閻魔さんに舌を抜かれるような気分だ。やがて、「コツッ」という金属音がした。抜いた歯をステンレスの皿の上に置いたのだろう。

 医師は抜いた歯を私に見せ、「持って帰りますか?」と尋ねたが、私は即座に「いえ、結構です」と答えた。歯には長さ5ミリほどの赤い根っこが付いており、これでは抜くのに難儀したはずだ。

 帰途、抜いた歯のあたりを舌でなめてみた。ヌルッとしていた。いつもそこにあるはずのものがないのは、不思議な感じだ。わが分身よ、さようなら・・・。

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