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白内障手術の行方・・・

 白内障の手術に向けて、その4日も前から準備が始まった。2種類の目薬を1日に4回ささなければならない。目薬は感染症を予防するものだが、1日に4回ともなると前回さしたのがいつだったか忘れてしまい、ややこしい。

 いよいよ手術の日がやって来た。体にメスを入れるのは初めてで、臆病な私は朝からそわそわしていた。病院は和歌山の小さな公立病院だ。家内に車で送ってもらい、午前10時前に到着した。手術の承諾書や緊急連絡先などを書いた5枚ほどの書類を提出し、入院手続きが終わった。

 病室は4人の大部屋で、すでに3人の患者が寝そべっていた。案内してくれた看護婦さんは、「手術は4時からです。それまではベッドで楽にしておいて下さい。2時間前からは忙しくなりますよ」と言った。サスペンス小説を読みながら緊張をほぐすことに努めた。

 手術の2時間前から、30分ごとに何種類からの目薬をさしに看護婦さんが来た。1時間前になると、点滴が始まった。しばらくすると、点滴の水分でトイレに行きたくなり、点滴の袋をぶら下げる器具を引きながらトイレに行った。これはもう、重症患者の気分である。

 手術時間が迫って来た。すると看護婦さんが来て、「時間が押してるんよぉ。30分遅れます」と言った。この緊張をまだ続けなければならないのかと暗い気分になった。多分、何かトラブルが起きたのだろう。見方を変えれば、そのトラブルが自分に降りかからなかったと思えば幸いである。

 隣のベッドの人も白内障の手術だそうで、車いすに乗せられ、手術室へ向かった。30分すれば、次は私の番だ。やがて、車いすのお迎えが来た。看護婦さんの言葉が子供をあやすように優しく、それが逆に不安を掻き立てるので、事務的な方がいいかもしれない。

 手術室の手前の部屋に着いた。ここで待機するのだ。手術室には、テレビでよく見る「手術中」の赤いランプがともっていた。嫌が上でも緊張が高まる。すると、扉が開いて隣の人が車いすで出てきた。えらい、早いと思った。20分もかかっていないだろう。

 この公立病院には眼科医が2人おり、一人はベテランの女医、もう一人はまだ幼さが表情に残る若い医師である。研修を終えて何年も経たないだろう。私の担当は、図らずも新進気鋭(?)の若手だ。手術前の説明では、「私は名医ではありません」と率直に話し、少々時間がかかるともとれる口ぶりだった。

 重い扉が閉まり、手術室のベッドに運ばれた。室内には青い手術着を着た医師や看護師6、7人が忙しそうに立ち回っていた。まぶしい光が上から降り注いでいた。担当医は「気分が悪くはありませんか」と問いかけたが、まな板の鯉の心得が一応出来ているので、「大丈夫です」と答えた。

 私の体には心電図の機器が取り付けられ、血圧などもモニターされており、室内に「ぴっ、ぴっ」とい電子音が鳴っていた。リズミカルなその音は、私が生きている証拠である。

 さぁ、一番恐れていた麻酔が始まる。ピカピカに光る長細い針が視野に入っていた。これを眼球の下あたりから射していくのだ。チクッとし、鈍痛がしばらく続いた。医師は看護婦に「メス」と言った。いよいよメスで黒目に数ミリの切り口を作り、濁った水晶体を取り出すのだろう。

 目に水のようなものが注ぎこまれ、吸引するような音も聞こえた。ネットで調べた知識だが、レーザーで水晶体を破砕し、これを吸い出す作業だろう。実は、いつまで経ってもこれが終わらないのだ。多分、30分、いや40分は経過しているはずだ。これに抗議するように、体をもじもじしてみた。

 相変わらず吸引の音が聞こえてくる。ベテラン女医が何か言っている。「左」「もっと」という声が聞こえた。不吉なことが頭をめぐり、ついに「先生まだ終わりませんか」と口走ってしまった。代わりに女医がもう少しですよと慰めてくれた。

 もう終わりだろうと思っていたら、担当医が「まだかけら残っています」と言い、吸引が続いた。それから10分ほどたっただろうか。「レンズを入れます」という声が聞こえてきた。それまで、ぼーっとしていた光が、やや鮮明になった。正常にレンズが挿入されたのだろう。手術は終わったようである。

 病室に帰ったのは、1時間後だった。目に痛みはなかった。担当医が病室を覗いてくれた。「手術はうまくいきましたよ」と言い、手術が長引いたことについても触れた。どうやら私の水晶体が柔らかく、扱いが難しかったらしいが、よく理解できなかった。7時半ごろには眠りについた。極度の緊張感から解放され、よく眠れた。

 朝8時半ごろ、担当医による診断が行われた。いよいよ、手術の効果があったかどうか分かるのだ。医師はそっと左目の眼帯を外した。左目だけであたりを見てみたが、ぼやっとしているではないか。「余り見えないです」と言ったところ、医師は人それぞれタイプがありますからねぇ」。

 診察室を出て、しばらく待たされた。若い医師だから手術を失敗したのかもしれない。疑念が渦巻いた。「徐々に見えてくることもある」とも言っていたので、窓際まで行って右目を閉じて遠くのビルを見た。ビルが純白なのだ。輪郭もちゃんと見える。反対の目で見ると、黄緑色に濁っている。

 手術は成功なのだ。担当医師には、「疑ってごめん」と言いたかった。実は、白内障手術の経験がある高校時代からの友人から言われていた。「白色がすごく美しい」。まさに、その通りなのだ。メガネをかけなくても、輪郭がちゃんと見えるようになった。山小屋に帰り、今満開のツツジの花を見ると、今まで赤みを帯びて見えていたが、実に鮮やかなピンク色なのだ。

 担当医師は「明日は土曜日ですが、念のため診察しましょう。来てください」と言ってくれた。責任感の強い人なのだ。医師に限らず、誰だって少しづつ技量を上げていく。それで足らない分は、責任感と誠実さで乗り越えていくものだ。2週間後、右目の手術がある。間違いなく、視界の世界は変わると思う・・・。

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消臭,、除菌に踊る人々

 近年、気になっていることがある。テレビに映し出される「消臭」と「除菌」のコマーシャルだ。朝から晩まで流れ続け、商品に投じられるCM費は膨大なものに違いない。それでも商品を買う人が多いから、メーカーは大いに儲かっているのだろう。

 これはもう、常軌を逸した社会現象だ。消費者は催眠商法にかかったように、「消臭だ、それ除菌だ」と走り回る。そんな現代人の風潮は、大げさに言えば、人類が衰退に向かう予兆のように思えるのだが、どうだろう。

 いつから日本人は、臭いを嫌悪し、菌に拒絶反応を示すようになったのか。オナラのような不快な臭いは別として、「臭いは悪」とするのは、消臭剤メーカーが仕掛けた謀略だ。

 菌も、十把一絡げ(じっぱひとからげ)で悪者に祭り上げるのも間違いだ。病気を引き起こす悪い菌もあるが、腸内菌のようになくてはならない菌もある。「除菌」と言えば聞こえはいいが、何も薬品のようなものを使う必要はなく、清潔にする方法はいくらでもある。薬剤に頼る方が不健全だ。

 先日、グルメ番組を見ていたら、そこそこ名の知れた女優が何かの食べ物を口にし、「クセも、臭いもない。美味しい」と言った。
簡単にそんな言葉が出て来る背景には、臭いは悪、菌は不衛生という悪しき現代病がはびこっているからだろう。

 雑菌がそんなに悪いのなら、私はこの歳まで生き長らえて来なかっただろう。子供の頃は泥にまみれて遊んでいたし、手を洗う習慣もなかった。地面に落とした食べ物を平気で食べてきた。なまじ衛生を口にする人より、菌への抵抗力が強いと思う。

 臭いを消し去り、菌をなくそうとする社会ってどうなんだろう。無菌のテントの中に閉じ込められたような息苦しさを感じてしまう。消臭も除菌もメーカーに踊らされているだけで、その製品がなくても別にどうってことはないのだ・・・。

やはり白内障・・・

 昨年夏、メガネ店へレンズ交換に行った。夜に車を運転していると、前を走る車の赤いテールランプがにじんで見えるし、昼でも道路標示がよく見えない。近視が進んでいると思った。

 新しいメガネに作り替えると、両目とも0・7程度は見えるようになった。この視力は、運転免許を取得できるギリギリのライン らしいが、これ以上レンズの度数を上げると、却って気分が悪くなるなど弊害もあるという。

 3か月ほどすると、またぼやけて見えるようになった。そこで、かかりつけの和歌山の医療センターで診察を受けた。検査の結果、医師は「白内障です」と言い、「日常生活に支障をきたすようなら、手術した方が良い」と話した。

 4月の初旬までは例年通り大津の自宅で過ごしたが、その間にも視力は悪化するばかりだ。近所の人と出会っても、それが誰か判別できず、失礼があってはいけないので、とりあえず頭を下げ、愛想笑いをしておくことにした。

 車の運転も危ないので、家内に任せるようになった。山小屋から眺める紀淡海峡は春霞がかかったようにぼやけている。天気のいい日はまぶしくて仕方ないし、テレビの画面はやや黄色味を帯びて見えるようになった。白内障の典型的な症状だそうだ。

 このように、まさしく日常生活に支障をきたし、医療センタの医師に手術お願いした。しかし白内障の患者は多く、夏まで手術の空きがないという。「そこを何とか」と拝み倒し、5月下旬に左目、6月中旬に右目の手術を受けられるようにしてくれた。

 すでに手術をした人の話を聞くと、一様に「大したことない。15分ほどで終わる」と言っていた。麻酔は目薬を使い、痛くないとも聞いた。日帰り、入院の両方あるらしいが、心配するような手術ではないとのことだ。

 先日、手術前の検査をした。その際、担当医師はパネルのようなもの示しながら手術の概要を説明してくれた。麻酔は、まぶたの下から針を刺し、眼球の裏側へと挿入するとのことだ。目薬による麻酔と聞いていたので、これでは話が違う。私は5歳児並みの注射恐怖症であり、その場から逃げ出したくなった。

 手術時間も40分、早くて30分くらいかかるというから、ネットで調べた内容とはかなり違っていた。手術をしてくれる医師にこんなことを言って申し訳ないが、ひょっとしたら経験が浅いのではないかと疑ってしまった。

 医師による手術のリスクについての説明はその後も続いた。いわゆるインフォームドコンセントで、医師は患者に十分な情報を伝えなければならない。それはよく分かるが、小心な私には不安がつのるばかりだ。もはや引き返すことは出来ないので、覚悟を決めて手術に臨みたいと思う。

昭和の魔法瓶が語る

 令和という新しい元号が始まって2週間ほどが経ち、ようやく令和の響きが耳になじんできた。はからずも昭和、平成、令和の三代を生きてくると、この世に生まれた昭和の時代が一層懐かしくなる。

 ところで、山小屋の囲炉裏端には赤紫色の卓上魔法瓶が置かれている。これは昭和40年代、家内が嫁入り道具の一つとして持ってきたものだ。魔法瓶の形も色合いも昭和の風情が漂い、これぞレトロという感じだ。

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 魔法瓶の側面には、英語で「How about asking yorself what is really inportant」と書かれいる。「本当に重要なことは何か。自分に問うてみてはどうだろう」という意味だ。人間の生き方、文明との関わりについて問いかけているのだと思う。

 普通の日用品に、このような哲学的とも言える英語が書かれているのは、実に面白いし、おしゃれでもある。60年代から70年代は高度成長期で、モノ作りの飛躍の時代だった。魔法瓶もJAPANブランドの一つとして世界に輸出されていた。

 製品にこのような英文が添えられているのも、そのような時代を反映していたのだろう。少し時代が異なるかもしれないが、ラジカセやウォークマンなど日本製品が世界を席巻し、90年代初頭にバブルが崩壊するまで日本は絶頂期だった。

 このレトロな魔法瓶は、長らく大津の自宅の押し入れに眠っていたが、10年ほど前、山小屋に持って来ると、再び活躍してくれるようになった。私は晩酌を欠かさず、おもに焼酎のお湯割りを楽しんでいるのだが、この魔法瓶からお湯を注いでいる。

 わが人生の友は酒であり、魔法瓶のお湯もまた晩酌の友である。魔法瓶の手触り、色彩、無数の傷、どれをとっても妙に安らぎを感じるのだ。ちなみに、これと全く同じの魔法瓶がネットで売りに出されていた。お値段はたったの400円也・・・。

山菜採り・・連日の来客

 山菜の季節になると、たくさんの人がわが山小屋を訪ねてくれる。先日は、東京、名古屋、滋賀の総勢7人が山菜採りに来たついでに立ち寄ってくれた。その翌日には、ブログが縁で交流が続くイレグイ号さんが、今年3回目の山菜採りで山小屋に来てくれた。連日の大賑わいだった。

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 7人グループが初めて山小屋に来てくれたのは、2010年の春だったからもう10年になる。何回か中断もあったが、常連さんである。折角来てくれるのだから、昼ご飯にはここ和歌山の海の幸、山の幸を振る舞いたい。

 いつもは私が釣ったアオリイカの刺身に天ぷら、加えて旬の麦わらイサギの刺身を食べてもらってきた。しかし昨年はアオリイカ釣りには1回しか行けず、しかも釣果がゼロ。せめてイサギの新鮮な刺身と思ったが、紀伊水道に面した漁師の所へ買い出しに出向くと、近海にイサギは回って来ていないという。

 こんなこともあろうかと思い、保険としてベーコンを仕込んでおいた。豚のばら肉の塊に塩、砂糖、黒コショウなど何種類かのスパイスを擦り込み、1週間ほど冷蔵庫で熟成させる。これを取り出して水道水を出しながら塩抜きしたら、燻製器で4時間ほどクルミのチップでスモークをかける。

 煙がもったいないので、塩と砂糖で味付けしたゆで卵も同時にスモークした。ただの燻製卵だが、これが存外美味しいのだ。

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 ベーコンによく合うのが、ジャガイモである。ダッチオーブンで作るベイクドポテトという料理で、焼き上がったジャガイモに穴を開け、その中にベーコン、バター、チーズを入れ、再び焼き上げる。チーズに程よい焦げ目がついたら出来上がりだ。鉄の遠赤外線効果と密閉性によって食材がよりおいしくなる。

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 これに、ワラビのマヨネーズ和え、山ウドのサラダと天ぷら、コシアブラも天ぷらにし、、山蕗の佃煮を添えた。ベーコンのスライス、燻製卵、ベイクドポテトを味わってもらい、お世辞かもしれないが好評を得た。メインディシュは一行が持ち込んだ近江牛のバーベキューだ。森に香ばしい煙が漂い、旺盛な食欲を満たしていた。

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 次の日に来られたイレグイ号さんには私も同行、ワラビ、山ウド、イタドリなどをたくさん採った。山小屋裏のテーブルで歓談し、ベーコンのスライス、燻製卵を試食してもらった。燻製をする彼からもお墨付きを得たので、ホッとした。早いもので、生石高原の山菜はもう終わりに近い・・・。

森の秘密

 山の猿が狂喜しながら食べるというサルナシ。その果実酒を作ったのは昨年10月5日だった。ちょうど半年が経ったので、満を持して瓶の封を切った。琥珀色の原液に氷を入れ、水で薄めて飲んでみた。

 その味は飛び上がるほどではないが、「幻の珍果」と言われるだけに野生の味と香りがし、十分に美味しいものだった。食前酒にしたり、喉が渇いた時に飲んだりしたいと思う。

 「スーパーフルーツ」のひとつに挙げる本もある。様々な栄養素が含まれており、例えばビタミンCがレモンの約10倍、ビタミンEがアボカドの約2倍などとされている。疲労回復や生活習慣病の予防、免疫力を高める効果もあるという。

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 私は北陸の田舎生まれで、生家の裏には山が連なっていた。だから様々な山の幸に恵まれていたが、サルナシという果実のことは知らなかった。随分昔のことだが、京都の奥地に広がる京大の演習林を歩いていたところ、サルナシの実をつけた枝を手にした老人に出会い、このスーパーフルーツのことを教えてもらった。

 そして昨年10月、家内と一緒に山小屋近くの森を散歩し、たまたま見上げた木の枝にナツメほどの大きさの果実が鈴なりになっていた。蔓性の植物だ。遠い昔、演習林で見たあの果実を覚えていたので、即座にサルナシと確信した。

 多分、この森ではなかなかお目にかかれないはずだ。これからもずっと果実酒を作りたいので、この場所を人に知られてはならない。私は家内に「誰にも言うな」と釘を刺した。栄養価の高い「珍果」であり、人に知られれば熟すまでに取られてしまうだろう。

 何もサルナシに限ったことではなく、山の幸がある場所は、古来、秘密である。松茸やシメジなどキノコが自生する場所は、それが貴重なだけに親兄弟の間でも秘密なのだ。

 山菜でも同じである。私の知人に「山菜名人」と言われる人がいる。ここ生石高原よりもうんと早く、立派なワラビをたくさん採ってくるのだ。ある時、「どこで採れるの?」と質問してみた。

 すると知人は表情を曇らせ、「教えてもいいけど、そこは蛇の巣のような所で、マムシも多い」と言った。蛇が大嫌いなので、そこへ行くのを断念し、それ以上は聞かなかった。

 後から考えてみると、蛇やマムシを持ち出せば、私が行くことはないと考えたのだろう。なかなかの妙案である。もし誰かに秘密の場所を聞かれたら、「蛇、マムシ」を持ち出すのは効果的である。秘密の場所から人を遠ざける殺し文句と言ってもよい・・・。

令和元年 5月1日

  令和という新しい時代を迎えた。何か気の利いたことでも書きたいが、何も浮かばない。10年以上もブログを書き続けているが、このように何も書けないのは珍しいことだ。

 時代の節目となるうねりが、私が考えるような文字や言葉を圧倒しているのだろう。だから、何かを書けば、すべてが陳腐になってしまう。上皇への感謝の言葉や、令和時代に平和を希求する言辞も同じである。

 皇位継承の国事行為はつつがなく執り行われ、わが国の伝統と文化を目の当たりにすることが出来た。世界にはイギリスやスウェーデン、タイなど多くの王室があるが、万世一系の皇統と長い歴史を持つ日本の皇室は、奇跡のような存在とも言える。

 人々の気持ちや世相の雰囲気によって、時代はしばしば揺らぎ、危うくなることもあった。それは、幾多の歴史が証明している。どうか、穏やかな時代になるよう願うばかりである。
 

 

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