大津祭に招かれて

 10月12日、湖国三大祭りの一つ「大津祭」が行われ、見物に行った。台風19号が本土に接近していたが、幸いスピードが遅く、好天の中で13基の曳山が大津市内を巡行した。主催者によると、14万7千人の人出だったという。

 実は、会社の同僚だった友人が祭りに招待してくれ、和歌山から駆け付けたのだ。彼の家は、古くから卸商を営んでいた大津商人である。ご両親はすでに亡くなられ店をたたんでいるが、今も曳山を守る町衆の一人だ。町内の曳山保存会の会長でもある。

 彼が建て替えた自宅は、通りに面して窓が広げてあり、祭り仕様にしてある。大津の旧家の多くは、窓際に緋毛氈を敷き、飛び切りのご馳走を食べながら曳山を見物するのだ。祭りの日は、子供や孫、親戚縁者が集まり、一年で一番にぎわう。

 大津祭は、江戸時代の初めに始まった。大津は物流の拠点で、日本海沿岸から運ばれた米や海産物などが琵琶湖を渡って集められた。祭りは、そんな豪商たちの経済力を物語っている。

 町衆たちは、祇園祭を小さくした祭りと言われるのを嫌う。確かに曳山は一回り小さいが、曳山を飾る「見送り幕」などの懸装品は重文級で、祇園祭にひけを取らない。しかも、どの曳山にもカラクリ人形があり、町内の様々な場所で意表を突くカラクリが演じられ、観衆の喝采を浴びるのだ。

 祇園祭と同様、コンチキチンの祭り囃子で町内を巡行する。こちらは、曳山の上から厄除けのちまきと手ぬぐいを投げ、見物客がとり合う。祇園祭が豪華絢爛なら、大津祭は民衆目線の素朴な味わいがある。

 大津の旧町はどんどん取り壊され、マンションが林立する町になってしまった。それでも400年の伝統を受け継ぐ大津祭は立派に観衆の心を引きつけ、町衆の絆も強めている。小さな町や村に伝わる祭りをもっと活性化させ、その土地に縁のある企業家がドーンと大金を寄付する。「地方再生」の一歩になるかもしれない・・・。

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