森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

映画「海難」・・・日本・トルコの恩義が海を越えて

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 日本とトルコの合作映画「海難1890」を観た。映画の前編は、トルコの軍艦「エルトゥールル号」が遭難した和歌山県串本町の樫野崎が舞台だ。後編は、イラン・イラク戦争で取り残された日本人をめぐる救出劇だ。

 後編はまだ記憶に新しいが、沈没事故は明治23年、1890年のことだから120年以上も前のことである。恥ずかしながら、和歌山の山小屋で暮らすようになるまでこの海難事故のことは知らなかった。

 7年前、その歴史を辿るため紀伊半島の最南端に向かった。串本の潮岬から橋で結ばれた紀伊大島に渡り、しばらく走ると、トルコと日本の国旗を掲げたトルコ記念館があった。その敷地には、巨大な「エルトゥールル号殉難将士慰霊碑」が建てられていた。5年ごとに両国関係者による慰霊祭が行われていることを知った。

 慰霊碑の前には太平洋が広がっていた。足元からは切れ落ちており、断崖の下は荒々しい岩場になっていた。エ号はこのあたりで沈没し、乗組員たちが打ち上げられたのだろう。当時私が撮った冒頭の写真と、映画のシーンが重なり合って見えた。

 このすぐ先には、日本最古の石造りの樫野崎灯台がある。明治3年の建造だから、トルコへの帰路を急ぐエ号の右手には、荒天でなければ灯台の明かりが見えていたはずだ。しかし当時は猛烈な台風で、灯台に気付いた時はもはや万事休すだったに違いない。

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 映画はもちろん、実話に基づいて作られた。トルコの親善使節を乗せたエ号は1890年9月16日の夜半、樫野崎の岩場に激突、乗組員600人以上が投げ出された。樫野地区では村を上げ、嵐の海で命がけの救助活動を行った。死者・行方不明587人という史上最大級の海難事故となったが、69人の命は救われた。

 村人の生活は貧しかったが、乗組員に衣服を提供し、非常食として飼っていた鶏の肉も食べさせた。そして日本政府は2隻の船で生き残った人たちをイスタンブールへ送り届けた。このような日本人の真心はトルコの人たちに語り継がれ、トルコと日本の友好親善の礎となった。

 それから75年の歳月が流れた。映画の舞台はテヘランだ。1985年のイラン・イラク戦争で、イラクはイラン上空の航空機に対し、無差別攻撃を行うと宣言した。各国は救援機を飛ばし、自国民を救出した。

 しかし日本は、憲法の規定で自衛隊の海外派遣が出来ず、チャーター機の要請を受けた日航も安全が確保出来ないとして応じなかった。日本人215人は孤立してしまった。映画のヒロインの日本人学校教師は「なぜ自衛隊が来ないのか」と日本の大使を問い詰め、ある男性は「日本に捨てられた」と嘆いた。

 無差別攻撃の期限は迫っていた。もはや万事休すである。その時、トルコが救援機を飛ばしてくれたのだ。しかも、トルコ国民より日本人を優先して乗せてくれた。これが映画のクライマックスである。救援機を飛ばしてくれたトルコの指導者たちは、遠い昔のエルトゥールル号の恩義を忘れていなかったのだ。

 後日のことだが、映画にまつわる民放の報道番組が放映され、救援機で救出された男性がインタビューを受けていた。彼は「飛行機が国境を越え、機長が『ようこそトルコへ』とアナウンスした時、私は泣きました」と語っていた。それは安堵の涙だったのか、祖国日本から手が差し伸べられなかった悔し涙だったのか。多分、その両方だったのだろう。

 窮地から国民を救うのは、国家として当たり前の事である。しかし、自衛隊の海外派遣はタブー視され、法整備は徐々にしか進まない。先の安保法制では条件付きながら救出できるようになっているが、野党は十把ひとからげで「戦争法」だと決め付け、今国会でも廃止を叫んでいる。国民を救出できない愚など、繰り返してほしくない・・・。
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Comment
 
 イレグイ号 [URL] #-
ここの磯では一度だけ釣りをしたことがあります。
結果は散々でしたが、「釣りをやってるぞ!」という感じの場所でした。渡船の出る港では伊勢海老の天丼というのが冬季限定で食べることができます。3000円近くしますが、一度食べてみる価値がありますよ。

軍隊を持つと戦争をしたくなると言っている野党やその他の人々というのは、包丁を持ったら人を刺したくなるというのと同じじゃないかと思います。自分を御することができないと思っている人たちが政権をになっていたのだからそちらの方がもっと危うかったのではないかと思ったりします。
悲しいかな、世界の歴史は戦争で彩られています。もともと人間というのはそういう生き物でそれを制御するための一つとして宗教が生まれたのだと思います。それさえも戦争の一因なるのが現代であるならば、守るための手段をもたなけばならないのは当然だと思います。
そういう風に考える僕自身もそんな危うい考えしか持てないだけかもしれませんが。
 2016.01.13 (水) 21:16 [Edit]
  [URL] #-
    イレグイ号さんへ

 コメント有難うございます。
イセエビの丼、食べてみたいですが、高嶺の花です。
焼き魚定食で十分満足しています。
 私も40年以上前、串本の磯でグレ釣りをしました。
確か、セシマのタライという磯でした。
途中で浪が高くなり、風裏の磯に移ったところ、30センチ前後のグレが入れ食いになりました。
 そのころは、アミエビをまるめ、パンティーストッキングの切れ端に包んで釣りました。
 戦争法、馬鹿なことを唱えています。
平和は戦争と戦争にはさまれたわずかなひと時にしか訪れません。有史、戦争の歴史です。
クウゼビッツがそんなことを書いていたように記憶していますが・・・。
 2016.01.18 (月) 07:05 [Edit]






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