森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

中仙道の柏原宿・・・佐々木道誉の足跡を訪ねる

 先日、滋賀の中仙道に軒を連ねる柏原宿へ行った。ここの町並みは東西約1・5キロにも及び、中仙道では最大級の宿場町だ。昔は伊吹特産のもぐさを売る店が10軒ほどあったらしく、今も1軒が店を開いていた。木曽路の馬籠宿、奈良井宿のような観光地としてのにぎわいはないが、落ち着いた旅籠の風情が残っていた。

IMG_8855.jpg

 もぐさと言えば、お灸である。悪さをすると、「やいとすえたろか」とよく言われたものである。子供のころ、父はよく母にお灸をしてもらっていた。腰のあたりにもぐさをひとつまみ置き、線香か何かで火を付けるのだが、母は父から「熱いがな、アホ」とよく叱られていた。昔は、銭湯に行くと、お灸の痕が生々しいお年寄りを見かけたものだ。

 ところで、なぜ柏原宿を訪ねたか・・・である。私と女房は昨年夏、吉川英治の大作「私本太平記」(全8巻)を回し読みした。これをきっかけに、この本に出てくるゆかりの地を訪ねてみたいと思うようになり、今回も所用で湖北地方に行ったついでに立ち寄ったのだ。太平記と言えば足利尊氏の生涯を描いた作品だが、京を中心とした近畿地方にその足跡が多いのはもちろんだ。

 鎌倉末期から南北朝時代にかけ、北近江を本拠にしていたのが守護大名の佐々木道誉で、居館はここ柏原宿に近い伊吹山の麓だとされている。尊氏は若いころ、京都見物に行った帰り、道誉の招きで居館に泊まり、道誉との関係を深めるきっかけになった。その後道誉は、尊氏による室町幕府樹立の立役者となった。

 この小説を面白くしているのは、尊氏の恋人・藤夜叉の存在だ。小説の記憶はあいまいだが、藤夜叉は道誉の庇護を受けていた近江猿楽一座の一員で、道誉の居館に泊まった際、知り合った。その後、尊氏の子を産んだが認知されず、悲運の美女として描かれている。やがて藤夜叉は道誉に犯され、壮絶な死を遂げるのだ。夜叉の能面をつけた亡霊が怨念の舞いをする能舞台を観る思いだった。

 道誉に深い関心を抱くのは、彼が「婆娑羅(バサラ)」その人だったからだ。婆娑羅とは、粋で派手な服装を好む当時の美意識で、大名たちの豪奢な生活、傍若無人な振る舞いも婆娑羅の特徴だ。太平記にも道誉の婆娑羅ぶりが描かれている。ド派手な衣服をなびかせ、中仙道を馬で疾駆したであろう道誉の姿を想像してみるのも、一興である。

 宿場町を見学した後、佐々木京極氏の菩提寺があると聞いたので、行ってみた。田んぼの中の道を歩いていると、雪が消えた伊吹山が圧倒的な山容を見せていた。宿場から1キロ余り北へ歩くと、静かな里山の一角に菩提寺の「清龍寺徳源院」があり、道誉の墓もあった。ただ、滋賀県甲良町の勝楽寺が墓所とされる説もあるという。

 境内には、「道誉ざくら」と名づけられた桜がピンクのつぼみを付けていた。樹齢300年という古木である。三重塔もあり、古刹の雰囲気がある。伊吹山を見上げる小説の舞台を歩いてみると、婆娑羅の道誉や絶世の美女藤夜叉への想像が膨らみ、もう一度、小説を読み直したいと思わせる。

IMG_8851.jpg

IMG_8848.jpg

IMG_8847.jpg
スポンサーサイト
   07:24 | Comment:0 | Trackback:0 | Top
 
 
Comment
 






(編集・削除用)

 

管理者にだけ表示を許可
 
 
Trackback
 
http://yoko87.blog74.fc2.com/tb.php/1136-bd09d2d9
 
 
カレンダー
 
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
 
月別アーカイブ
 
 
カテゴリー
 
 
ブログ内検索
 
 
全記事表示リンク
 
 
 
訪問者数
 
 
ランキング参加中!
 
 
リンク
 
 
PR
 
 
PR
 
 
PR