森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

南米ペルーを行く・・・天空のマチュピチュは夢か幻か

 いよいよマチュピチュを訪ねる朝が来た。前日、古都クスコからバスと鉄道を乗り継ぎ、マチュピチュ村のホテルに泊まっていた。午前5時ごろ目覚めると、屋根に打ちつける雨の音がした。それも激しい降り方だ。

 部屋のカーテンを引くと、強い雨が降り、あたり一面濃い霧に包まれていた。地球の裏側まで来て、何だこの天気は・・・。思わず、悪態をつきたくなった。写真やテレビの映像で何度も、何度も見た夢の空中都市。胸に膨らんでいた期待の風船が、一気にしぼんでしまった。

 朝7時半ホテルを出発し、シャトルバス乗り場に向かった。幸い雨は止んでいたが、霧は依然として濃い。ベテラン添乗員は「心配いりません。必ず晴れます」と強気である。朝に雨が降ると、次第に晴れるという長年の経験が、そう言わせたのだ。

 バス乗り場に着くと、10台近いバスが列をなしていた。マチュピチュ村に来るためには、歩いて来るか、鉄道に乗るかしかなく、車が通る道は一切ない。それなのに、なぜここにバスがあるのだろう・・・。よく考えれば、鉄道の貨車にバスを乗せて運べばいいのだが、咄嗟にそんなそんな簡単な答えが思い浮かばなかった。

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 前日ここに来る列車の窓から、険しい山の斜面に延々と続く道が見えた。これが「インカ道」だ。われら一行が列車に乗ったオリャンタイタンボ駅から先には車が通れる道はなく、先住民の人々は、このインカ道を歩いたのだろう。現代では、バックパッカーが3泊4日でマチュピチュまで歩くという。私がもう少し若ければ、歩いてみたい。

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 マチュピチュ村は標高2000mほどで、ここからバスでヘアピンカーブを縫うように登り、標高差400mを登り詰めて空中都市へ。所要時間は半時間ほどだ。道には10cm角ほどの石が敷き詰められ、右側は絶壁になっているがガードレールなどはない。

 これとは別にインカ道も頂上に向けて延びており、この急斜面を直登する猛者がたくさんいた。インカの人々には、車輪を転がすという発想がなかったと聞いたことがある。この急な山道を見て、なるほどなぁと思った。アンデスは荷車で物を運べるような地形ではなく、もっぱらラクダ科のリャマという家畜の背を借りたという。

 道路は朝の雨で濡れ、バスがスリップしないか心配だった。しかし運転手は助手席の仲間とおしゃべりをし、時々前を見ていないこともあった。車窓から見える釣鐘を吊るしたような山には霧がかかっており、添乗員から「晴れる」と明言されていても、気持ちは暗かった。

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 バスの終点は、芋の子を洗うような混雑ぶりだった。マチュピチュの見学は4時間と長時間だが、中にはトイレも売店もなく、ここでトイレを済ませておいた。水のペットボトルをバスの中に置き忘れたため、売店へ買いに行った。ここも長蛇の列で、一行を10分余り待たせてしまった。水はマチュピチュ料金の3ドル・・・。高ぁー。

 ここからしばらく歩いた所に入場門があり、パスポートとチケットを提示して遺跡の中に入った。下の写真のような小道歩いたその先に・・・。

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 圧倒的な迫力で現れたのは、写真で何度も見たあの遺跡群だ。背後の山には少し雲がかかっている。それがまたいい。この場に立たなければ体感できないものがある。アンデスに吹く風、天からに降り注ぐ白い光線、日なたと日陰の温度の差・・・。そんな自然に触れながら見るマチュピチュは、実に感動的だった。長い旅の末にここまで来た甲斐があった。

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 マチュピチュが発見されたのは、日本の明治時代末期にあたる1911年のこと。アメリカ人の歴史学者が「断崖の上に石の建築物がそびえている」という一文をヒントに、探検に乗り出した。地元の人に案内を乞うたところ、「毒蛇がうようよいる」との理由で断られたが、少年の案内で草に覆われた遺跡を発見したという。

 遺跡の発見は、インカ帝国がスペイン人に滅亡させられてから400年が経っていた。マチュピチュは15世紀ごろ建設されたらしいが、深いジャングルと断崖に守られ、征服者に発見されることはなかった。なぜ、要塞のような都市が造られたのだろう。

 インカは文字を持たなかったので、その記録は残っていない。インカ帝国復興を願った人々が造った秘密基地だったという説。他の部族の進入を防ぐ目的もあったかもしれない。個人的には、太陽神を崇めたインカの人が天に近い断崖に築いたのは自然のことだったと思うが・・・。マチュピチュをめぐる論争は百家争鳴である。

 いずれにしても、強固な要塞としての機能は持っていたはずだ。一番高い所に見張り小屋があり、高い城壁もあった。

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 見学にはたっぷり時間があるので、ガイドが「兵隊道」を案内してくれた。片道20分ほど。急斜面を登ると、平坦な道に出た。下にアンデスの源流ウルバンバ川が見えた。この上流にダムがあり、ここから山にトンネルを掘って水を流し、水力発電をしているという。電気はマチュピチュをはじめクスコにも送っているらしい。

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 この先からは、足がすくむ道の連続だ。道幅は1mもない所もある。右側は垂直に切れ落ちており、足を踏み外せば100%死ぬ。左側にワイヤーが取り付けられている場所もあったが、断崖側に防護柵などはない。ここを行くのは自己責任。一行の大半は途中で止まってしまったが、われら夫婦は蛮勇をふるって先に進んだ。

 断崖の先に木製の柵が設けてあり、それより先には行けなかった。柵の向こうには危うそうな木の橋が架けられ、石の階段が続いていた。兵隊の道というから、侵入者があればこの断崖で迎え撃ったのだろう。

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 添乗員が予想したように、青空のいい天気になった。下の写真のように、まるで絵葉書のような光景で、来年の年賀状に使えそうだ。背後の山はワイナピチュ山(2690m)といい、現地語で若い峰の意味らしい。実は、マチュピチュ山(2940m)はこの反対側(下の写真)にそびえており、マチュピチュは老いた峰の意味だそうだ。

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 遺跡の一番高い広場に、太陽神への生贄を供える奇妙な石があった。生贄はラクダの一種リャマだったらしい。石には丸い穴が開けられれおり、リャマをつなぐのに使われたという。そんなリャマは今、アルパカとともにマチュピチュの観光大使として遺跡を闊歩し、愛嬌を振りまいている。

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 マチュピチュで一番神聖な場所は、太陽の神殿だ。巨大な自然石を土台に造られている。ここにもインカの石積みの技法がみられ、隙間なく積まれていた。この近くに日時計があり、暦を作ったのかもしれない。上部の石はきっちり南北を指しているという。

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 三角形の石積みは住居だった。石と石の間に材木を渡し、2階建てになっている。1階と2階には別々の出入り口があり、家族間のプライベートに配慮したのだろう。遺跡には、背後の山から湧き水を引き、水道のような水路が整備されていた。

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        ↓ 丸太を渡して2階部分が造られた
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        ↓ このような水路と水汲み場があった。

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 この空中都市に、一体何人くらいが住んでいたのだろう。一般的には住居の数などから500人~1000人と言われるが、最盛期には1万人いたという解説書もあった。目もくらむような角度で造られた段々畑は3000段あるという。ジャガイモ、トウモロコシが栽培され、自給自足の暮らしが成り立っていたとされる。

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 今も遺跡の発掘調査が行われている。マチュピチュは15世紀のころの建設だが、文字を用いなかったため記録がなく、手がかりを求めて終わりのない調査が続けられる。調査は空振りだったらしく、埋め戻しが行われていた。ここを最後に遺跡の見学を終えた。夢のような4時間だった。石の間に生えた赤い蘭の花が見送ってくれた・・・。

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 マチュピチュ村まで下りるシャトルバスには長蛇の列が続いていたが、バスは次々到着し、30分ほどで乗れた。土産物店で最後の買い物をし、列車とバスでクスコに向かった。列車からは、雪をかぶったアンデス山脈が次々と見えた。

 標高3000m近くを走るバスから見た星空は、宇宙のガスが見えそうなくらい澄んでいた。首をかしげて上を見ると、四つの星が一段と明るく輝いていた。それを繋ぎ合わせると十の文字になる。きっと南十字星だと思ったが、あとで調べるとニセの南十字星もあると書かれていた。旅のロマンだから、本物と信じればいい。

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 クスコに戻ってきた。丘の上を走るバスから美しい夜景が見られた。まるでアニメ映画のようだった。もうペルーに来ることはないと思うが、もしそんな機会があるなら、クスコに何日も居続けたいと思う。征服者スペイン人が消しても、消しても、消えなかったインカの匂いが、ここには染み付いているのだ。

 夜はクスコのお洒落なレストランで食事をした。最後の晩餐だ。

 食事を始めると、いかにもインディオらしい彫りの深い4人が登場し、アンデスの音楽を演奏した。雄大な自然が広がっていくようなメロディーだ。やがて軽快なリズムになり、ボーカルが「パッチャ、マンマー」(大地の母の意味)と叫ぶ。私も「パッチャ、マンマー」と叫んだ。手拍子を打って興奮していたのは、私を入れて3、4人くらいだった。「俺は軽い男だなぁ」・・・とつくづくそう思った。

 最後に「コンドルが飛んでいく」が演奏されると、今回の旅で目にした光景が次々と蘇った。ナスカの地上絵、クスコの街、マチュピチュの遺跡、そして土産物店の女性の熱い視線、アルパカの少々硬い肉料理・・・。音楽を聴いていて、なぜか感極まり、目頭が熱くなった。

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   ↓ ボーカルが自分たちのCDを売りに来た。もちろん買った。
     旅行記はCDを聞きながら、アンデスの気分に浸って書いた。

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                                                 (終わり)









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   14:59 | Comment:4 | Trackback:0 | Top
 
 
Comment
 
 May [URL] #mQop/nM.
たくさんの写真と小説のような文章で、楽しませていただきました!
一生思い出に残る旅ですね。
そして、そんなに断崖絶壁で落ちたら死ぬような恐ろしい道なんですね。(ますます腰が引けます。こうして行った方のブログを読んでいるだけでいいわ・・なんて)
ひまじんさんご夫婦は勇気がありますね。
これからも”コンドルが飛んでいく”や、買ったCDを聞くたびにアンデスの山々を思い出されるのでしょう。
 2016.09.21 (水) 17:39 [Edit]
  [URL] #-
    Mayさんへ

 アンデスへの旅行記を3回とも読んでいただき、有難うございました。
Mayさんの写真はきれいですが、私のはクリアでありません。カメラの画素数が少ないのでしょうか。
 それはともかく、ご存知のように、ブログに写真をアップする作業は面倒ですね。
でもやっと終わりました。
 きっとこれから、CDの音楽を聴く度に、アンデスを思い出すと思います。
 有難うございました。
 2016.09.21 (水) 18:40 [Edit]
 サワッチ [URL] #mQop/nM.

旅行記楽しく読ませていただきました、
私も2011
大阪から→ロス→ペルー→イグアスの工程で南米旅行をしました、自ブログを読み返しています機会があればまた行きたい南米ですね。

 2016.09.21 (水) 19:55 [Edit]
  [URL] #-
    サワッチ さんへ

 コメント有難うございます。
5年前にペルー旅行ですか。
だいぶん、先輩ですね。
イグアスって、でかい滝があるとこですよね。
遠いですね。
ブログに書かれていたのなら、読みたいです。
 2016.09.22 (木) 17:02 [Edit]






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