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浅間山の赤い湯にほっこり・・・㊤

 噴煙を上げる浅間山(2568m)の中腹に、赤茶色の湯がこんこんと湧き出る温泉があるという。時はまさに、青春18キップを利用して旅人が行き交う春3月。われら夫婦は鈍行に揺られ、長野県と群馬県にまたがる浅間山に向けて小さな旅を始めた。

 午前5時58分、大津駅で新快速電車に乗り、乗り換えの米原駅へ。そう言えば去年の今頃も、青春キップで長野県北部の小谷温泉に向かっていたが、松本を過ぎると雪になり、震え上がった。しかし今年は東の空がオレンジ色に染まり、春のような陽気である。

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 湖北の伊吹山(下の写真)に見送られ、名古屋から一路、長野を目指す。

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 中津川のあたりからは、日本の原風景ともいうべき風景が続き、いつまでも見ていたいと思う。赤いトタン屋根の民家が点在し、木曽川が右に左に。中津川出身の島崎藤村は、名著「夜明け前」の書き出しで「木曾路はすべて山の中である」と書いた。川端康成の「北国」の冒頭と同じように、情景を彷彿とさせる。

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 いつものことだが、中央線は車窓に目を奪われ、席を行ったり来たりと忙しい。やがて右手に純白の山並みが見えてきた。中央アルプスの名峰・空木岳だろうか。何と美しい名前を付けたのだろう。白い花を咲かせるウツギは幹が空洞になっており、だから「空木」の文字を当てたのだと、勝手に思っているのだが・・・。

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 左手には、数秒間だけ大きな白い山塊が見えた。噴火で多くの犠牲者を出した御嶽山だ。3年前、大雨に降られて途中から引き返した苦い経験がある。もう一度、挑戦する日がくるだろうか。

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 塩尻駅で乗り換えの時間が少しあったので、弁当とビールを買った。この駅は昭和57年に駅舎が移転し、それまでのスイッチバックが解消された。大学1年の時、夜行列車に乗っていて、気が付くと列車が反対方向に走っており、驚いた。スイッチバックという言葉も知らないウブな学生だった。

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 弁当を食べながら、山岳風景を楽しんだ。車窓の右手には、南アルプスの甲斐駒ケ岳が姿を見せ、文字通り、将棋の駒の形をした名峰だ。左には八ヶ岳の岩の山々。リュックには単行本を入れてきたが、車窓に気を取られてまだ1行も読んでいない。

 小淵沢駅から小海線に乗り換え、小諸駅を目指すのだが、家内はこの小海線に思い入れが強い。若い頃、職場の友人と八ヶ岳に登り、下山して乗ったのが小海線で、もう一度乗りたいと思い続けていたという。家内は遠い昔を見つめていた。

        ↓ 甲斐駒ケ岳(上)、八ヶ岳(下)
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 田園地帯を走る列車の先に大きな山が見えた。浅間山だ。運転席の窓際に走り寄り、シャッターを押した。いい年をしてまるで子供のようなはしゃぎぶりだ。浅間山が見える場所にはこれまで何回も来たことがあるが、いずれも雲でよく見えなかった。今回初めて山の全容を見ることが出来た。

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 小諸駅には、旅館の人が車で迎えに来てくれていた。宿泊するのは「天狗温泉浅間山荘」という宿で、標高1400mの所にある。旅館で迎えてくれたのは、お尻が妙になまめかしい放し飼いの豚だった。親近感を持たれたのか、鼻をならして擦り寄ってくるのだ。豚でも何でも好意を寄せられるのはうれしい。

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 食事の前、あたりの山を散歩した。谷川が赤く染まっていた。お湯は透明だが、空気に触れると酸化して色が変わるという。温泉も下のような色。硫黄の匂いもして、効能がありそうだ。安っぽい常套句になるが、本当にポカポカして湯冷めしない。一風呂浴びたら夕食だ。山の食材が盛られおいしかった。

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 2日目は、小諸市観光の定番「懐古園」を駆け足で見て回った。ここは小諸城の跡で、立派な門があった。城郭の石はのづら積みで、自然石を加工せずに使った素朴な味わいがあったが、それ以外は失礼ながらそれほど見るべきものはなかった。桜の城として有名らしいが、つぼみはまだまだ固かった。

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 私たちは宿場町をぶらぶらするのが好きで、機会があれば足を運ぶことにしている。今回は小諸駅からふた駅ほど先にある「北国街道 海野宿」を歩いた。江戸時代に栄えた宿場で、立派な旅籠や民家が100軒ほど軒を連ねる美しい町並みだ。ゴミ一つ落ちておらず、地域住民の保存への熱意が伝わってきた。

 節句のこの時期、軒先に暖簾がかかっている家ではお雛さんが飾られており、自由に見ることが出来た。豊かな家々が多かったのだろう。「うだつ」のある家も何軒かあった。「うだつ」とは隣家との間に立派な防火壁のようなものが作られ、こうした家は金持ちで、逆にない家は「うだつが上がらない」となるらしい。

 宿場の風景は、中山道や東海道に目が行きがちだが、日本海側と江戸を結ぶこの土地にかくも立派な宿場があるとは、恥ずかしながら知らなかった。この後、上田市に向かうが、時代小説の大家池波正太郎ゆかりの美食と巡り合った・・・。(続く)

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