森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

さかなやの親戚・・・座布団3枚あげよう

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  生石山に降った雪はほぼ消えた。買い出しのため山を下りてスーパーに向かうと、里の桜は満開だ。車窓から風景を眺めていた女房が、「あれは面白い!」と言いながら笑っている。買い物をすませた帰りに、その「面白い所」に立ち寄ってみた。

 私も思わず笑ってしまった。小料理屋の店先に掲げられた看板に、大きな字で「さかなやの親戚」と添えられていた。店の名前より目立つところが面白い。有田川沿いの県道脇にバラックのような建物が建っており、食堂や居酒屋など4、5軒の店が軒を連ねている。「さかなやの親戚」はそのうちの1軒だ。

 このあたりはミカン畑が広がる田舎である。龍神温泉や熊野本宮大社に向かう車が素通りするだけで、わざわざ立ち寄るほどのお洒落な店ではない。農家の人たちが息抜きをするような食堂を兼ねた酒場なのだろう。

 それにしても「さかなやの親戚」とは、なかなか洒落っ気があるし、商売っ気がにじみ出ている。魚屋の親戚だから、いつでも新鮮な魚が安く手に入る・・・。絶妙の図式だ。「安い、うまい」とアピールするよりも、この方がはるかに説得力があるのは確かだろう。

 そう言えば、東北を旅行した時、一関市に「魚屋のお店」というのがあって、飲みに行った。珍しい貝や殻付きのウニなどがドーンと出てきて、旅情をそそられた。しかし今から思うと、鮮魚店直営の店という先入観にまどわされ、ありがたがった自分を少し恥ずかしく思う。

 大阪の中央市場に、女房お気に入りの寿司屋がある。ここも「市場の店」が売りである。私も女房に一度付き合ったが、1皿5貫で1000円。客は普通2皿か3皿食べるから、昼食にしては少し贅沢である。

 東京・築地の寿司屋をテレビで見たことがあるが、たいそう繁盛していた。これも「築地」が宣伝文句で、客はありがたがって食べている。ひねくれ者の私から言えば、どちらも「味」より「市場」を強調する目くらまし、もっと悪く言えば「催眠商法」みたいなものだと思う。

 虎の威を借る狐・・・。市場や魚屋は虎であり、店は狐である。ちと言い過ぎかもしれないが、市場、魚屋というだけでありがたがるのは、馬鹿げている。そこそこの値段で、そこそこおいしい店なら、市場までわざわざ出かけるまでもなく、町中にいくらでもあるだろう。女房には「交通費がもったいない」とケチなことを言っている。

 神田や銀座の有名寿司屋で食事するセレブから「さすがでござーます」などというセリフを聞くと殺意を感じる。半面、市場の寿司屋で舌鼓を打つ奥様方の姿は少し悲しく映る。

 はい、くだらない言いがかりでした・・・。

 
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