森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

「嫌菅」と言われるようでは情けない

 あいつとは口もききたくない。絶対、友達にしたくない。そんな嫌われ者が、職場にも身の回りにも一人や二人いるだろう。気の毒な事に、菅総理は「嫌菅」というレッテルを張られ、いまや嫌われ者の代表格に祀り上げられている。

 東日本大震災の被災、復興、原発への対策は、与野党を超えて進めなければならないが、野党の多くは「菅総理とだけは一緒にやりたくない」と言っているそうだ。本来仲間であるはずの民主党の中からさえ、「好かん男」という露骨な声が聞こえて来てくる。

 どうしてこうも嫌われるのだろう。権力闘争とは少し違うような気がする。指導力がない、言葉に力がない・・・などは一応まともな批判だが、笑顔がキモイ、目が死んでいる、性格が悪いといった非難には、人間性や生理的な嫌悪を感じる。これでは菅総理も立つ瀬がなかろう。しかし・・・。

 菅総理は若いころ、参院選に市川房江女史をかついで頭角を現した。金権政治を批判し、反戦平和を訴える市民運動のリーダーだった。国家権力の歪みを正し、政治を監視し、市民の権利を守る市民運動は、自由主義社会の健全な姿だと思う。

 市民運動家は、権力の対極にいなければ存在価値がない。だから、菅総理が権力を批判しているうちは良かったが、幸か不幸か、総理という最高権力者に登り詰めてしまった。それからがおかしくなったようである。

 同じような思想信条を持つ社会党の村山富市さんも総理になったことがある。しかし彼は総理の椅子に恋々とすることはなかったし、「わしは分からんからのう」と言って有能な人物に仕事を任せた。しかも朴訥なあのキャラは憎めなかった。

 しかし菅総理は、市民運動家の経歴を持ちながら、非常に強い権力志向を持っていることが明らかになってきた。総理の椅子にしがみつき、誰が何と言おうと権力を手放さない姿勢がありありとうかがえる。国民にも権力亡者と映るのだ。

 総理という椅子は、蜜のように甘美な世界なのだろう。面従腹背であろうが、回りがペコペコするし、一応言うことも聞いてくれる。SPが何人もついて政府専用機だって思いがままである。「君臨」することは、身をよじるほどに快いものなのだろう。

 「嫌菅」と揶揄される理由の一つは、そんな権力亡者の姿だろう。加えて、よく怒る、イライラしている、仲間ばかりでつるむ・・・。そして何より、日本の重しとなるような重量感がない。人徳がない。

 彼は、歴史が正しく評価してくれると思っているのだろうが、それは甘い。国民は、未曾有の国難を打開する「今現在のリーダー」を求めている。歴史なんて悠長な事態ではなく、切迫しているのだ。「嫌菅」が蔓延するようでは、国の先行きが危うい。

 人間とどのつまり、「人徳」だと思う。四国遍路で修業したつもりの菅総理だろうが、いまだ「人徳の力」に気付いていないのではないか・・・。
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   09:20 | Comment:1 | Trackback:0 | Top
 
 
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 正眼から、一刀両断の冴え・・・堪能致しました。長くなるので、私のブログにて、本文への感謝を込めて、打たせて頂きました。
 2011.04.20 (水) 19:12 [Edit]






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