森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

能登半島ぐるり一周(後編)

 和倉温泉で一泊し、高岡市に向かった。これで能登半島を一周することになる。車を走らせながら、途中の氷見市に住んでいる友人を訪ねるかどうか迷っていた。連絡もせず、いきなり訪問しては迷惑だろうし、手土産もない。

 彼と私は、同じ業界に入った同期である。彼とはライバルの関係だったが、自分の会社の同僚たちよりも仲が良いという変な関係であり、私たちの業界ではそう珍しいことではなかった。

 彼は江戸っ子だったが、関連会社の社長を退任した後、奥さんの古里である氷見市に家を新築し、昨年からここに住んでいる。私と同じ釣りが趣味で、富山湾で釣り糸を垂れ、もしかしたら寒ブリでも釣り上げようとしているのかもしれない。

 今年の4月、会津若松へ一人旅をした帰り、彼の家に立ち寄り、一泊させてもらった。酒を飲みながら富山湾の魚をつつき、仕事でやり合った攻防の思い出を語り合った。いつの間にか、二人で1升5合もの日本酒を空けていた。

 あの時からまだ2ヶ月も経っていないが、顔だけでも見て帰りたかった。長居しては迷惑なので、コーヒーをいただいてすぐ帰途についた。

 女房は、粟津、片山津、山代、山中の加賀温泉郷を回ってみたいと言う。5、6歳のころ、育ての母に連れられて北陸を旅し、和倉温泉と山中温泉に泊まったことを懐かしんでおり、遠い昔の足跡をなぞりたかったのだろう。

 山代温泉や山中温泉は、町並みが整備されきれいになっていた。しかし、それほど繁盛しているようには見えなかった。全国的に見ても、近年の温泉街の凋落はひどいらしい。私たちが泊まった和倉温泉でも、能登沖地震や東日本大震災などでここ数年間に旅館8軒が倒産したと聞く。廃業となり、周りに雑草が生えた旅館の姿は見るに忍びないものがある。

 凋落傾向は、一概にデフレや不景気のせいだけとは言えないと思う。私が若い頃は、部署ごとに慰安旅行があり、温泉に一泊して騒いだ。これをわれらの業界では「全舷」と呼んだ。海軍ではどこかに寄港すると、乗組員の半数が「半舷上陸」するが、「全舷上陸」は全員が休むという意味で、これが転じてそう呼ぶようになったのだ。

 いつの頃からだろうか、若い社員はこの全舷に参加するのを嫌がるようになった。酔っ払った先輩を相手にするのは真っ平ご免なのだ。協調とか団結という言葉が空疎になり、若者にとって温泉で気勢を上げるなんて実に馬鹿馬鹿しいことなのだろう。当節は、昼食会やバーベキュー大会で飲んで食べたら、ハイサヨナラである。

 このような価値観の変化が、温泉街を寂しくさせ、強いては地方の疲弊を招く一因になっているのだと思うが、どうだろう。加賀屋のようにブランド旅館がそこそこ栄え、1泊2食付き8000円という格安旅館に主婦たちが押しかける。このような温泉旅館の二極化は、味わいのある二流旅館を少なくさせ、温泉のもてなし文化の衰退にもつながりかねない。

 われら夫婦は、温泉通ではないが温泉好きである。ずいぶん全国各地の温泉に行ったものだ。ただ、加賀温泉郷のような温泉街よりも、どちらかと言えば「秘湯志向」である。それは好みの問題だからどちらでもいいが、温泉が元気になれば、日本も少しは元気になると思うのだが・・・。

 会社でも事業所でも年1回くらいは温泉にくり込み、無礼講で羽目を外してはどうか。昔は酔っ払って旅館の襖を破ったり、酒をこぼして畳を汚したりして幹事が謝りに走り回っていた。何もそれがいいとは言わないが、しかしそれらは昭和の時代の活力の一面でもあった。今はみんな行儀が良く、目線は内を向いている。

 まぁ、それはそれとして、山代温泉に新築されたばかりの「古総湯」に入った。総湯とは共同浴場のことで、「古」が頭につくのは昔ながら入浴方法を体験してもらおうという意味らしい。つまり、石鹸、シャンプーは禁止、ただ湯につかるだけである。入浴料は500円。物凄い熱いお湯だった。お客はわれら夫婦二人だけで、今の温泉事情を象徴しているようだった。

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 山中温泉から山間の道路に入り、ゆっくり走った。しばらくすると、「栢野大杉」の看板があった。菅原神社境内に見事な杉の神木が4本あり、天を突く姿に圧倒された。最も古いもので樹齢2300年。昭和天皇もご覧になった。

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 次は「千古の家」という曰くありげなが看板があった。通り過ぎたのでUターンし、見学した。北面の武士源頼政の後裔が建てた民家で、中世末期の建築とされる。黒光りした太い柱には丸刃の手斧の削り跡が生々しく残っていた。家を管理している古老が番茶を運んでくれた。彼も末裔の一人らしいが、北面の武士の猛々しさとは無縁の好々爺だった。

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 このように、田舎の道を走れば、なかなか味わいのある風景や文物に出会うことができる。1泊2日の走行距離は1200キロ。感じることの多かった小さな旅だった・・・。

                                    (終わり)
 
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2012.06.25 10:11
 
 
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