十一面観音・・・西野薬師堂(充満寺)

 ここは、観音の里とも呼ばれる北近江の高月町だ。赤後寺の十一面観音像を拝観し、車で次の西野薬師堂をめざしている。目にしたばかりの観音さんは、腕も頭上仏も失った余りにいたわしい姿だった。その強い衝撃を引きずりながら車を運転している。助手席の女房も同じ思いなのか、黙り込んだままだ。

 空には鉛色の厚い雲が垂れ下がり、琵琶湖畔の平野は年末に降った雪に覆われている。対岸の比良山から吹いてくる風は刺すように冷たく、滋賀県と言ってもこのあたりは気候も風土も北陸そのものである。

 北近江は、幾多の戦乱に翻弄された土地である。北には羽柴秀吉と柴田勝家の両軍が相まみえた賤ヶ岳。東には織田信長と浅井長政の兵が血で血を洗った古戦場の姉川が流れている。その向こうには天下分け目の関ヶ原へと続く。応仁の乱の戦火にもさらされたという。

 奈良、京都の仏像の多くは、貴族文化の中で生まれ、貴族によって見守られてきた。しかし、とりわけ北近江では、寺院が戦乱に巻き込まれ、民衆が仏像を運び出し、時には土中に埋め、赤後寺の観音さんのように、川に沈めて守った。寺院が焼失したり荒廃したため、民衆は小さなお堂を建て、密かに仏像を守って来た。

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 さて、車はやがて余呉川を渡り、西へ進んだ。しばらくすると、寺の本堂の屋根が見えてきた。薬師如来と十一面観音のある充満寺だろう。お寺の手前に二つのお堂がある。その一つの「西野薬師堂」に2体が安置されているはずだ。もともと仏像は、この近くにあった由緒ある泉明寺に祀られていたが、寺は戦乱で焼失したと言われる。

 世話役の携帯に電話すると、すぐ来てくれた。薬師堂に案内され、仏像に手が届くほどの距離から拝観した。十一面観音は重量感にあふれ、目鼻立ちが整っている。腰は左にひねる観音さん独特のポーズだ。右手は真っ直ぐ垂れ、左手に蓮華の水瓶を持つ。全体に赤みを帯び、後に薬師如来とともに赤漆が塗られたのかもしれない。

 平安前期の作で、像の高さは166・7センチ、ヒノキの一木造りである。大正15年国宝に指定されたが、昭和25年の制度改正で重要文化財になった。世話役は「同じ高月町の向源寺の観音さんも国宝であり、国は国宝をどちらか1体にしたかったのではないか」という。格下げではなく、こちらも国宝級と言いたげだった。

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 西野地区は83戸の小さな集落だ。勤め人などを引退した9人が交代で観音堂の世話役を務めているという。案内してくれた人は、きのうまでサラリーマンだったような物腰で、「拝観を希望する電話がかかってくるので、当番の日はどこにも出かけられません」と言っていた。

 観音堂を辞去しようとした時、桑の木の箸が売られているという本の記述を思い出した。世話役さんは「ええ、ありますけど。出しましょうか?」と商売っ気がない。その昔、前記の泉明寺のお坊さんが中風にかかると、「桑の木で作った箸でご飯を食べよ」という観音さんのお告げがあった。その箸で毎度ご飯を食べると、中風は少しずつ回復したと伝えられる。

 私たち夫婦は一膳づつ買い求めた。参拝記念のつもりだったが、箸袋に「老人病予防にご利益がある」と書かれていたので、少しうれしくなった・・・。

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