森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

円空さんの十一面観音・・・伊吹山の里

 伊吹山に荒ぶる神がいた。日本武尊(ヤマトタケル)はこれを退治するため山に登ると、白いイノシシが現れた。イノシシは神の化身だったが、無視されたため怒り、氷雨を降らせた。ヤマトタケルはこれがもとで病気になり、やがて死んだ。古事記、日本書紀に出てくる神話である。山頂や山麓などには、武勇のヤマトタケル像が建てられている。

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 時代はジャンプして、江戸時代前期のころ。伊吹山では、若い行脚僧が修行に励んでいた。後に12万体の仏像を彫ったと言われる円空(1632-1695)さんである。やがて北海道へ旅立ったが、58歳の晩年に伊吹に舞い戻り、一体の仏像を彫り上げた。これが「太平寺の十一面観音」である。

 伊吹山をめぐるヤマトタケルと円空仏を教えてくれたのは、エッセイストの白洲正子の著作である。彼女が暮らしていた町田市の「武相荘」を訪れた縁もあり、前々から彼女の足跡をたどり、伊吹山麓にも行きたいと思っていた。私は今年に入って十一面観音を訪ね歩いており、これがいい機会だと思い、円空さんの十一面観音を訪ねることにした。

 大津から琵琶湖の湖周道路を走り、米原あたりで中山道に入った。しばらくして左折し、山麓へと進んだ。天気が良ければ、伊吹山が覆いかぶさるように見えるはずだが、三合目あたりから上は雲の中だ。2時間余りで米原市春照という集落に着いた。ここに大平観音堂がある。

 まずは近くの「伊吹山文化資料館」を見学した。伊吹の歴史、文化、風土を伝える様々な史料が展示されていた。蕎麦好きの私はもちろん、伊吹が日本蕎麦発祥の地であることは知っている。昔、父親が背中から煙を出していたのは、伊吹特産のもぐさだったはず。小さい頃、石臼回しを手伝わされたが、ここで盛んに石臼作られていたのを初めて知った。

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 前もって拝観をお願いしていたので、世話役の男性が観音堂の玄関先で私たちを待っていてくれた。薄暗い堂内に入ると、身長180センチの観音さんがガラスケースの中に立っていた。円空仏独特の人なつっこい笑みがこぼれている。しかしどこか寂しげでもあった。お腹が異様に膨らんでおり、いつのころからか「安産の観音さん」と慕われた。

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 世話役の人は、ガラスケースの側面を開けてくれた。観音さんが載る台座は360度回るようになっており、自由に動かして写真を撮ってもよいとのことだ。ただ、安物のカメラなのでうまく撮れず、円空仏の魅力を伝えられないのが残念だ。

 像の裏側に、墨書がある。漢詩と和歌の他に、作像のいきさつが書かれている。それによると、元禄2年(1689年)3月4日に木(桜)を伐り、5日にお祈り、6日に作り、7日に開眼法要とある。何と、これだけの大作を一日で彫り上げたのだ。

 白洲さんは「円空は、花吹雪につつまれ、自然と混然一体となり、桜の木の中に、十一面観音が現れるのをその目で見たに違いない」と書いている。当時、円空さんが身を寄せ、観音さんを彫った太平寺は伊吹山の中腹にあったらしい。そこは、山桜や季節の花々が咲き乱れた美しい場所だったのだろう。

 昭和39年、太平寺があった集落には山崩れの危険が迫り、16戸の人々は十一面観音さんとともに、今の観音堂がある場所に集団移転した。案内してくれた世話役の男性もまた、山を下りた一人だったという。

 白洲正子さんは、歴史の教養と知識がほとばしるような人である。仏像や骨董、民具を見る目も確かだ。その彼女がここの観音さんを絶賛したのだから、押して知るべしである。円空さん屈指の名作であろう。

 「かつて伊吹村で、円空作の十一面観音に出会った時の感動が、私には忘れられない。作者の息づかいがじかに伝わってくるような、迫力に満ちた観音像であった。悲しいような、寂しいような微笑を浮かべた表情にも、孤独な人の魂が感じられる」(白洲正子・十一面観音巡礼)・・・

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Comment
 
 イレグイ号 [URL] #-
白洲次郎という人を知ったときには、こんなひとが本当に日本にいたのかと驚きました。正子という人もこれまた、あの時代にこんな女性がいたのかと驚きました。

次郎は「戒名不要」と言って亡くなったそうですが、人々が仏像にこめた思いをひもといて考えるのもこれまたすばらしいことですね。
 2014.02.12 (水) 23:46 [Edit]
  [URL] #-
      イレグイ号さんへ

 おはようございます。寝不足です。 
白洲次郎は確か軽井沢ゴルフ倶楽部のキャプテンで、服装の悪いメンバーに対し、物凄く怖い存在だったようですね。
 奥さんは故郷の近江ファン。能にも造詣が深く、教養の深さは驚くばかりです。私の偉大な先生です。
 2014.02.13 (木) 08:41 [Edit]






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