今時の日本語にちょっと苦言・・・

 マレーシアから中国に向かっていた旅客機が行方不明になっている。空港を飛び立って50分後、南シナ海でレーダーから機影が消えたという。乗客、乗員は239人。その多くが中国人らしい。

 捜索は海上を中心に行われ、アメリカや中国も協力しているが、このブログを書いている今の段階ではまだ見つかっていない。NHKのニュースによると、タイで盗まれたパスポートが何者かによって使われていたとのことだ。また、旅客機は海上から空港に引き返した可能性もあると伝えている。

 NHKのアナウンサーは「あらゆる可能性を視野に入れ、調べている」と報じた。この言い方は、喉に刺さった小骨のように私をイライラさせるのだ。人生幸朗のぼやき漫才ではないが、「それ、どういう意味?責任者出てこーい」と言いたくなる。

 つまり、「あらゆる可能性」とは「予断を持たず」という意味だろう。事故なのか、事件なのか、あらゆる可能性を調べるのは当たり前だ。当たり前のことをあえて言うのはどのような意味が込められているのだろう。

 はっきりと、「機体の故障、テロの可能性の両面で調べている」と言えばいい。例えば、ハイジャックか機長の独断でどこかに着陸している可能性もゼロとは言えないが、これを「あらゆる可能性」の中に含めてしまうのは、ニュースの発信者として無責任だ。そんなことなら、取材しなくても誰にだって言える。

 テレビでも新聞でも、近年、このような表現が多い。「慎重に捜査している」「詳しく調べている」などもよく聞く表現だ。その反対表現は「ズサンに捜査している」だが、捜査機関が人権にも配慮し、ズサンでない捜査をするのは当たり前だ。

 「視野に入れる」というのも腹が立つ表現だ。これもメディアの流行語のようなものだ。例えば、「贈収賄も視野に入れ、捜査している」と表現する。そもそも視野とは「見える範囲」のことだ。贈収賄が視野に入っているなら、「贈収賄の疑いでも調べる」とズバリ書けばいい。そこには、いざという時、責任を逃れたいという底意が見え隠れするのだ。

 ぼやきのついでに、おまけを一つ。

 芸能人の葬儀で、レポーターは声を震わせながら「しめやかに営まれています」と言う。「しめやか」は悲しげという意味で、葬儀は悲しくて当たり前なのだ。「しめやか」にという言葉を強調するのは、故人の死をそれほど悲しんでいないレポーターが、自らの気持ちを装う都合の良い言葉なのだ。飾らない言葉の方が、重く響くことを知るべきだ。

 ともかく新聞もテレビも、「あらゆる可能性」「慎重に」「詳しく」など具体性に欠く表現ばかりで、責任逃れというしかない。それらは人権や個人情報、未成年者への過剰な配慮にも通じており、真実に迫ろうとする本来のメディアの迫力とほど遠いと思う。

 ひまにまかせて朝のひと時、苦言を書いてみた。まぁ、どうでもいいと言われれば、あえて反論しない・・・。  

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コメント

こんにちは。此方は春一番から、終日の雨、夜更けに雪との事です。

 仰る通りで、私はテレビ放れの毎日です。お体裁ばかりをして、女性アナウンサーは、自分がタレント見たいに錯覚して、衣装にばかり収まっている。アナウンサー、キャスターの職業を報道と云う観点から物を考えない風潮は、見るのも嫌に為ります。

 私は下衆ですから、そんなテレビ映像に向かっては、罵詈雑言の限りを尽くして居ます。それでも、マスコミから教養とか品格を頂戴したいから、学ぶ姿勢は持って居る心算なんですが、語彙だけは達者でも響かない言葉の羅列に、ウンザリして居ります。

腹の無い言葉使用では、昔、<羽織りゴロ>と云われた言論を天職と考えた猛者に申し訳ないと思って居る次第であります。言葉の衰退は、哀しい限りに映ります。

 心、気迫、慧眼に富んだ言葉こそが、心琴に触れ、長く記憶に留まり、行動する、生きる指針と為ると思うのですが、マスコミ、識者達の<映像檻>で飼い慣らされてしまうと、迫力と人間味が消え失せて、下衆の私は、安易な悪態付きに終始して仕舞うばかりです。

 未だ未だ長い人生ですから、本当は少年の様な精進の機会が欲しいですがね。

 へへへ、長々と、ご無沙汰の罪滅ぼしで打って仕舞いました。取り留めの無い駄文にて・・・兄貴~、許してくんろ~。信州の愚弟より。


僕は、スポーツ選手のインタビューに違和感を感じることが多々あります。
「感動を与えたい」とう言葉を使う人には、どうして使役言葉を使わないとかと・・。僕は感動が欲しいなんて全然思っていないんです。
「応援、よろしくお願いします。」と言われても、僕は別に応援したくもないんです。
世の中の人のすべてがスポーツ大好きと思われても困るんです。

それと、「ら」抜き言葉もどうも耳に障ります。
昨日の労働組合のリリースの「回復の兆しが見れるので・・・」の下りを読んで、うちの会社は大丈夫かと不安になったのは僕だけではないと思います。

    アガタ・リョウさんへ

 すっかりご無沙汰です。
和歌山の山を離れ、滋賀で暮らしています。
小さな旅をし、それ以外は図書館を往復する単調な日々です。
でも、もうすぐ山の暮らしの再開です。
 パソコンの調子が悪く、ブログの更新も機械のご機嫌をうかがいながらです。
コメントを打つのもひと苦労です。
 貴兄の云う「言葉の衰退」はその通りです。
どうしてメディアはこんなに堕落したのでしょう。
例えば、週刊文春の昔の特報「疑惑の銃弾」(三浦事件)なんて、もう書く記者はいないでしょうね。
せいぜい、朝日のねつ造記事くらいでしょう。
 ブログを楽しみにしています。辛口を期待しています。
 

     イレグイ号 さんへ

 少し暖かくなってきましたね。
水温が上がれば、魚たちも活気づくでしょうね。
 私たちも、もうすぐ山の暮らしを再開します。
ひと月もすれば、生石高原は山菜の季節です。
お母様と一緒に来て下さい。
 確かに「ら」抜きの言葉がおおいですね。
それを聞くと、なぜか気持ちが悪く、落ち着きません。
言葉に関しては、テレビの方が質の悪さ、レベルの低が際立っていると思いますが、いかがでしょうか。
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