森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

長崎の旅・・・往復8000円のピーチ便

 「長崎へ旅行しよう」と娘が言ってきた。今すぐ予約すれば、長崎までの往復チケットはたったの8000円。格安に目がくらみ、二つ返事で「行く」と返事した。航空会社は関空を拠点にしている「ピーチ」で、今回が二度目の利用である。

 飛行機は分厚い雲の上を飛び、午後遅く長崎空港に到着。レンタカーで島原半島を目指した。長崎県民には悪いが、地図を何回見ても、湾や半島が入り組んでいて、長崎の地形が分からない。

 今夜泊まるのは、半島西側の小浜温泉だ。大正時代、小浜温泉の地主が私財を投じ、温泉客を誘致するため鉄道を敷いた。しかし昭和13年、経営不振で廃線となったが、今はそれが海沿いの道路となっている。石で組まれたレトロなトンネルをいくつもくぐりながら、海と新緑の風景を楽しんだ。

 やがて前方に、もうもうと噴き上げる湯煙が見えてきた。小浜温泉だ。旅館の料理は断わり、新鮮な魚を食べさせる小料理屋に出かけた。鯖、アワビ、カツオ、地元の貝などたらふく食べ、ほろ酔いで海が見える露天風呂につかった。

 翌日は雲仙地獄を歩き、近くの小地獄温泉館で朝風呂につかった。お湯は信州の白骨温泉も後ずさりするほど白かった。ここから半島の東側に向かって車を走らせたが、ガスに見え隠れする雲仙岳が見えた。

 長崎に来た理由は、格安運賃だっただけでない。実は、報道カメラマンだった友人が1991年に起きた雲仙普賢岳の大火砕流で死亡し、今回はどうしても友人の慰霊をしたかったのだ。火砕流から23年の歳月が流れたが、いつかは慰霊のため現地に足を運びたいと思い続けてきた。

 普賢岳にはガスがかかっていたが、時折り、頂上の溶岩ドームと火砕流の跡を見ることが出来た。何と凄まじい爪跡だろう。当時のテレビ映像の記憶は今なお鮮明だが、こうして現場に立つと、改めて火砕流のすさまじさに体が震えた。

 島原半島を後にし、フェリーで熊本に向かった。冷たい風に吹かれながら、遠のいて行く雲仙岳を見続けた・・・。

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      ↑ 海の見える露天風呂。お湯は柔らかい。

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      ↑ 食べた事のない貝。濃厚、クリーミーな味わい。

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      ↑ 雲仙地獄。

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      ↑ 雲仙普賢岳の火砕流は43人もの命を飲み込んだ。友人も・・・。

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      ↑ 遠ざかる雲仙岳。海鳥が飛んでいた。
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