森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

5年ぶりの「茶わん祭」・・・滋賀最北の上丹生で

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 滋賀県最北端の山間に「上丹生」という集落があり、ここに「茶わん祭」という奇祭が伝えられている。陶器で飾り付けた山車が集落を巡行するこの祭りは、県の無形民俗文化財に指定されている。5年ごとに開催されており、連休の5月4日、8000人の観客が見守る中、行われた。

 私にとって茶わん祭は、もどかしい記憶の中にある。子供のころ、祭りに行ったことがあるように思う半面、テレビで見た映像によって実際に見たと錯覚しているのかもしれない。そんなモヤモヤした思いをずっと前から抱き続けてきた。私はこの機会にどうしても、遠い昔の記憶を辿ってみようと思った。

 祭り前日、和歌山の山小屋から滋賀の自宅に移動、翌朝、琵琶湖西岸を北上して現地に向かった。湖北の知り合いの家に車を置かせてもらい、上丹生の集落まで6キロほどを歩くことにした。途中、祭りのシャトルバスや見物客の車に次々追い抜かれた。それにしても凄い人出だ。丹生神社に到着すると、祭典の神事が行われていた。

 茶わん祭の起こりは、室町時代まで遡る。上丹生地区には陶器に適した良い土があり、盛んに陶器が作られていた。陶工たちは、神から焼き物の技を授けられたことに感謝し、丹生神社に毎年、陶器を奉納した。これが祭りの始まりだった。ただ、陶器作りは何百年も前にすたれ、祭りだけが今に伝えられている。

 祭りはかつて、上丹生の人たちだけで行われていた。舞いをする稚児は最低でも12人が必要で、棒振り、笛、太鼓、鉦(かね)を務める者も地区の男子の若者が担ってきた。しかし、集落の過疎化と少子化は急激に進み、集落だけで祭りを運営できなくなった。このため、稚児も若者も他所から借り、女子高校生にも助っ人を頼むようになった。

 午前11時から、境内の舞台で稚児の舞いが次々と披露された。でんぐり返ったり、逆立ちしたりする場面もあり、可愛らしい稚児の仕草に大きな拍手が送られた。赤色に飾った傘を手にした華やかな踊りも繰り広げられた。1時間に及ぶ演舞が終わると、いよいよ神社を出て巡行が始まる。

 さて、奇祭と言われるゆえんだが・・・。全部で3基ある山車には、それぞれ茶碗や壺などの陶器で組み上げた高さ7メートルの飾りが掲げられる。巡行中は「さし」と呼ばれる2本の竹の棒で支えているが、3基が勢ぞろいする丹生神社と八幡神社の境内で「さし」が外され、これが祭りのクライマックスだ。

 支えを外された飾りは、風に吹かれて前後左右に大きく揺れる。倒れそうだが、それでも倒れない。弓なりになることもある。揺れるごとに、観客から悲鳴が上がる。陶器を針金も縄も使わないで、工匠が絶妙のバランスで組み上げる技は、他人はもちろん妻や子供にも言ってはならない秘中の秘なのだ。

 工匠は集落で9人に限られ、連綿と秘伝の技術が受け継がれてきた。工匠は2か月前から身を清め、茶わん祭会館の閉め切った一室で制作が始められる。祭りの度に、歌舞伎や浄瑠璃などから引いた芸題を決め、今回は永宝山が「牛若丸と弁慶」、丹宝山が「鍋島猫騒動」、寿宝山が「番町皿屋敷」で、飾りの一番上と下に二体の人形が掲げられる。

 丹生神社を出ると山車3基が合流、薙刀を先頭に神輿が続き、巡行が始まった。笛や鉦、太鼓が奏でるはやしは古式ゆかしく、稚児や花傘踊りの奴が練り歩く。山車を飾る錦の曳き幕は室町時代のもので、足利文化が再現されるのだ。

 行列は、やがて1キロほど離れた八幡神社に入った。稚児の舞いなどが披露されると、いよいよ陶器の飾りを支えていた「さし」が1基づつ外される。この日は風が弱かったが、それでも大きく揺れた。そのスリリングな様に観客の悲鳴と歓声が上がり、祭りは最高潮に達した。

 ここ上丹生は戸数106戸、人口300人ほどの集落である。そんな過疎の村人たちが、人手不足と資金難の中、よくぞ祭りを伝えてくれたものだ。私は祭りのクライマックスを目の当たりにし、胸を熱くした。祇園祭などと比べくもないが、こちらは素朴なだけに味がある。天下の奇祭だと思った。志納所には同じ思いの人が次々訪れ、私もいくばくかの寄付をした。

 冒頭で「茶わん祭はもどかしい記憶の中にある」と書いたが、祭りが終わりに近づくと、少年の頃、実際に見たという確信を持った。何の根拠もない。しかし、祭りの残像がまぶたに蘇り、今ここにある雰囲気が無性に懐かしく思えたのだ。自分の記憶に、やっと踏ん切りがついた。その結論に納得すればいいと思う・・・。

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 滋賀県奥琵琶湖の住人 [URL] #9ylvnzuY
因に丹宝山の山車にぶら下げているお札の題名は「怨念化猫城下跳梁」で意味は「怨念は描に化けて佐賀城下を跳梁する」。
そして山車の下人形は鍋島直茂で、宙人形はお政に化けた猫のこま。
そんなわけで私も見に行きたかったのですが、残念なことに用事があって見に行くことができませんでした。
が、そんな私を神様がお救い下されたのか、私の地元の祭りを見に行ったところ、神主さんが神輿の前で氏子さんの名前を読み上げているので何気なく聞いていたら、神主さんの口から「鍋島直正」?という言葉が!
私の聞き違いかもしれませんが、そのとおりだったら鍋島藩の名君である鍋島直正公は私の地元で齢200歳を迎えたということに!?
だとしたら私の地元に「鍋島」の土地伝説が生まれることだろう?
というところまで行かなくても、私の地元で釣り船屋さんをやっている鍋島さんなら一か月前からの予約が必要ですが、禁漁期以外は毎日営業をしておりますので、ぜひ奥琵琶湖の遊覧を兼ねたビワマス釣りを楽しんでください。
なお、私の地元で釣り船屋さんをやっている鍋島さんについては、「鍋島猫騒動」ならぬ「鍋島のビワマス」をキーワードに検索して出てくる「代 表 者 鍋島直…」のホームページをクリックしていただければ、予約方法などがわかりますよ。
私のお勧めは、このホームページにあるブログです。
丹宝山が「鍋島猫騒動」 2014.05.09 (金) 20:08 [Edit]
 アガタ・リョウ [URL] #-
こんばんわ。

心何処の認証コードが取得出来ずに、ログイン不能と為って終いました。それで、同じFC2ブログで 心の儘に を立ち上げる事にしました。

先ずはご一報まで。
 2014.05.09 (金) 21:45 [Edit]






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