森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

北穂高岳・・・その1

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       ↑ 北アのパンフレットより(右が北穂高岳)

 北アルプス3000m級の名峰北穂高岳に登るため、毎日、毎日、好天が到来するのを待ち続けていた。この夏の異常気象は文字通りの異常で、長期予報をチェックしながらやきもきするばかりだった。夏山登山を予定していた人たちも空を見上げ、深いため息をついていたに違いない。

 ところが9月に入ると、北アルプスのピンポイント予報に晴れマークが現れ、登山に適する「Aランク」の文字が3日連続で並んだのだ。われら夫婦の決断は早かった。予報が出た翌日には、軽トラで奥飛騨の平湯温泉を目指していた。

 次の日、シャトルバスで上高地に入り、河童橋から北アルプスの峰々を眺めた。西穂高、前穂高もきれいに見える。明神岳の上に少し雲がかかっているのは気になったが、おおむねわれらの判断は正しかったようだ。

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 登山届を提出し、歩き始めた。梓川はいつ見ても美しい。釣り好きの私は、岩魚の魚影を求めて川面を見つめるが、これまで一度もその姿を見たことがない。北アルプス登山の黎明期、この川で岩魚を釣り、生活の糧にしていた上高地の主の嘉門次、若い登山者にいつも岩魚を振る舞ったお人好しの常次郎たちの名前が浮かんだ。

 横尾大橋を渡り、涸沢に向かう平坦な登山道を歩いた。左手には覆いかぶさるような屏風岩。やがて、多くの登山者が休憩する本谷橋に着き、私たちは渓谷の岩に腰掛けてコンビニのおにぎりをほうばった。ここからは急な登山道が続く。涸沢方面を見上げるとガスがかかっており、少し不安になってきた。

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 前方に涸沢ヒュッテが見えた。ガスが立ち込める中、ヘリコプターによる荷揚げ行われている。急坂を登り切り、登山道を右に曲がると、今夜泊まる涸沢小屋だ。宿泊手続きをした後は、テラスへ一直線。とりあえずは、キンキンに冷えた生ビールである。この一杯のために山を登っているのだろうか。

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 テラスから眺める涸沢カールの景観は、涙が滲んでくるほど感動的だ。しかしこの日のカールは上半分がガスに覆われ、恐竜の背中のような前穂、そして奥穂へ連なる弓のような吊り尾根は雲の中。それでも、氷河が削った日本最大のカールは迫力に満ちている。天気予報を信じて登ってきたが、山の天気とは女心のようなものだろう。

 涸沢小屋での一夜は、よく眠れなかった。夜明け前、テラスに出ると、霧が北の方向からカールに吹き上げていた。この分だと、遅かれ早かれ雨になるだろう。涸沢小屋の標高は2350mで、これから3106mの北穂高山頂を目指すが、岩は濡れていて滑りやすい。かなりの困難が待ち構えているに違いない。

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 午前6時過ぎ、雨具を着込んで岩の道を上った。霧が吹きつけ、眼鏡のレンズが曇る。振り返ると、涸沢小屋の向こうに広がるカールはまったく見えない。高山植物の盛期は終わり、お花畑は彩りに欠ける。トリカブトの合間に、結構大きな赤いイチゴがぶら下がっていた。

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 突如、すぐ前を歩く女房が小さな声を上げた。猿が一匹、女房の右足をかすめるように横切ったのだ。猿は夢中になって草むらのイチゴを食べ出した。女房との距離は1mもない。猿は登山者に慣れている。

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 岩稜はいよいよ厳しくなってきた。雨に濡れた岩はよく滑る。落ちれば軽傷では済まないだろう。われらの後ろを登っていた十数人のヘルメット姿のグループは、いつの間にか途中で下山したようだ。おそらく、山岳ガイドが安全を期したのだと思う。

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       ↑ 途中で下山したヘルメットのグループ

 最初の核心部にさしかかった。長い鎖場が続き、その先には30段以上の梯子が架けられている。砥石のような岩は雨で不気味に光っていた。次の回で詳しく書くが、ここで人が滑って落ちた。第二の核心部は、鎖につかまり、岩にかじりつき、登らなければならない。雨の北穂高は、格段に難度が上がると思う。

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 何年か前に読んだ一冊の本が蘇る。小山義治著「穂高を愛して二十年」(中公文庫・昭和57年出版)。著者は山頂に建つ北穂高山荘の初代オーナーである。麓の横尾谷に作業小屋を作り、山荘の建築用材を作った。そして単身、標高差700mの山頂まで、長さ5・5m、重さ130㎏の梁を担ぎあげたのだ。

 これは戦後間もない時期で、登山用具も今のようなものではない。信じられない偉業だ。今われら夫婦は、小さなアタックザップ一つを背にしただけなのに、急峻な岩稜を前に息も絶え絶えなのだ。想像を絶する苦難を乗り越えて完成した北穂山荘は、穂高連峰の縦走を楽にしたし、槍ヶ岳のビューポイントとしても登山者を楽しませている。

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 歩き出して3時間近く経つのに、まだ頂上は見えない。ガスの向こうに屹立する岩がいくつも見え、気力が萎えてくる。仰いでいた首を元に戻した時、グラッと体が揺れた。今まで経験したことのない異変が、私の体の中で起きている・・・。

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                                                              (続く)

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   15:48 | Comment:2 | Trackback:0 | Top
 
 
Comment
 
 エコ夫婦妻 [URL] #-
お久しぶりです。ひまじんさん意味深ところで終わらないで下さい。いっぺんに眼が覚めました。大丈夫だとは思うのですが・・・・
 2014.09.09 (火) 21:54 [Edit]
  [URL] #-
     エコ夫婦 さんへ

 はい、無事に下山しました。
今は生石で、元気でやっています。
たまには、高原に上がってきて下さい。
そして、顔を見せて下さい。
 2014.09.10 (水) 18:02 [Edit]






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