薪ストーブのメンテ、鉄板がはめられない・・・

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 このところめっきり秋らしくなり、朝の気温が10度を下回る日が多い。朝起きるとまず、薪ストーブに火を入れるのが日課である。ダウンジャケットを羽織り、暖かくなるのを待つ。

 ストーブのメンテは例年、梅雨明けごろに行うが、今年はずぼらしてつい先日行ったばかりだ。炉内を解体し、排煙口からブラシを突っ込み、下から上へとブラシを突き上げて煤を落としていく。茶碗に2、3杯ほどの煤がバラバラと落ちてきた。

 普通、煙突掃除は上からブラシを入れるが、高所恐怖症のため屋根に登ることが出来ず、下から掃除するのは苦肉の策だ。以前は女房に屋根に登ってもらっていたが、近年は「それ、男の仕事やろ」と、拒まれるようになった。

 毎年苦労するのは、炉内の煙を逃がす2枚の湾曲した鉄板を外した後、元に戻す作業だ。今年も手こずっている私を見かね、女房が手伝ってくれた。女房は「鉄板の形状を頭に入れ、全体像を把握しないといけない」と偉そうに言うが、反論できない。

 ともかく、炉内の煤をきれいに落とし、作業は完了した。言い訳がましいが、鉄板を元に戻せないのは、私の持病が原因だと思っている。ブログでも度々書いているが、私は重度の方向音痴であり、頭の中に地図とか立体図を描くことが出来ないのだ。

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 どういうことかと言うと、例えば案内板の地図を頭に入れても、角を2、3回曲がると、東西南北も左右も分からなくなってしまう。ゴルフの時もそうだ。グリーンでキャディーから右に曲がると言われても、とっさにどっちが右か分からないことがある。電車が逆に走っていると錯覚することさえある。

 女房も含めて人はこの病気を理解しようとしない。それが一番悲しい。薪ストーブの鉄板を元に戻せないのも、方向音痴という障害のため、仕組みの全体像が把握できず、どこにはめ込めばいいのか分からないのだ。

 しかし女房は、「鉄板を外す時、どちらの板が右か左か、上下がどっちかを覚えておく。それが出来ないならテープなどで目印を付けておく。方向音痴とは何の関係もない」と手厳しい。しかし方向音痴は、失敗を何度重ねても次はきっとうまくいくと確信しているのだ。厄介な病気である・・・。

秋色求め、生石高原を歩く

 ここ生石高原は、めっきり秋らしくなってきた。その様子を写真に撮るため、高原を歩くことにした。わが山小屋の階段を下る途中、敷地の斜面に目をやるとホトトギスが咲いていた。紫のまだら模様がかわいらしい。

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 高原までは500mほどの距離で、木々に囲まれた沿道には様々な花が咲いている。目に付いたのはアザミだ。あの美しい蝶アサギマダラが好んで蜜を吸うらしく、その姿を見かけたことがある。花には棘のようなものが生えており、花に触れるのがためらわれる。

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 ノコンギクも咲き始めている。ノコンギクではなく、そっくりのヨメナかもしれない。背筋をピンと伸ばして咲いている。その姿勢がいい。今、花の色は白っぽいが、本来は薄い紫色で、自然でしか生み出せない鮮やかな色彩だ。

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 道端には、背の低い草が葉を赤く染めており、そこはかとなく秋を感じさた。私はそれらを「雑草」と呼んでしまうが、昭和天皇は「雑草なんていう草はない。みんな名前が付いている」とおっしゃった。崩御されて間もなく30年。月日は光陰矢の如しだ。私の昭和は遠くなりにけり・・・。

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 見上げると、山桜が色付き始めていた。もうしばらくすると赤い葉がはらはらと宙を舞う。この森で暮らしていると、紅葉の女王は何と言ってもウリハダカエデだと思う。ここにはたくさん自生しており、秋の深まりとととに黄色から深紅に染まり、そのグラデーションは見事だ。

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 歩いて10分ほどで生石高原に着いた。名物のススキは、つい先日まで穂が赤味を帯びていたが、今はもう銀色になりつつある。風になびくススキは海原のようだ。

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 高原の最高峰・生石ケ峰(870m)をバックにススキの写真を撮っていると、高齢の男性から声をかけられた。ご婦人2人を連れておられ、奥さんとお友達のような感じだった。

 和歌山県内の人で、ススキの季節になると毎年ここを訪れているという。この見知らぬ御仁もなかなかの話好きで、草の上に座って話をした。山でぽつんと暮らしていると、何日も女房としか話をしないことが多く、この日はいつになく長話になった。

 男性は82歳だそうだ。私はそれよりはうんと若いが、「元気そうですね。それにしてもお若い」とおだてられ、肛門のあたりがむずむずした。

 「どうしてここに住んでいるの?」「退屈しないの?」「奥さんは喜んでいますか?」などと次々と質問され、山の暮らしについて色々と話をした。最初は風采の上がらない私をいぶかるようだったが、「お元気で」と言って別れる時にはすっかり旧知のような仲になっていた。秋に向かう草原での一期一会だった。

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山葡萄の苗を植える

 町のスーパーで食料や日用品の買い出しをし、軽トラで生石高原のわが家へ向かっていた。すると、前方から知り合いの奥さんが歩いてやって来た。窓を開け、「いやー、お久し振り」と挨拶を交わすと、彼女は「山葡萄の苗があるけど、持って帰らへん?」と意外な言葉が飛び出した。

 山葡萄と聞けば、無関心でいられない。私にとって、山葡萄は東北や北海道の森にひっそり自生する植物という印象が強い。北陸の田舎で生まれ育ったが、見たことも食べたこともない。今は紀伊山地で暮らしているが、山深いここに自生しているという話は聞かない。私の生活エリアから縁遠い果物だけに、その野生の味に興味津々だった。

 なぜ彼女が山葡萄の苗を持っているのか・・・。彼女は、大学の教授を定年退職したご主人とともに、、山の中腹で田舎暮らしをしている。娘さんが北海道に嫁ぎ、牧場を経営しているそうだが、娘さんから牧場に自生している山葡萄の苗が送られて来るのだそうだ。

 彼女が何年か前に自宅の庭に植えた山葡萄は大きく育っており、黒紫色の房がいくつもぶら下がっていた。味見させてもらうと、ほとんど甘味はなく、もの凄く酸っぱい。それはひどいものだったが、味を知ったことは貴重な体験だった。今回もらうことになった苗は、やはり娘さんから最近送られてきたらしい。

 標高が高く、涼しいわが山小屋は東北の気候に似ており、苗はうまく育つと思う。ただ、山葡萄は雌の木だけでは実はならず、雄の木がないといけないらしい。もらった苗は3本あり、雌雄そろっているよう願っている。ともかく苗を上手に育てようと、俄然やる気になっている。

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 田舎生まれの私にとって、自然の食べ物には目がない。小さい頃、アケビを見つけるとかぶりついたし、砂糖をまぶした様なイワナシ(岩梨)も夢中で食べた。酸っぱかろうが何だろうが、自然の贈り物と思えばうれしいものだ。近年、山葡萄はワインやジャム、ジュースの原料として活用する動きが活発だそうだ。

 苗は山小屋の敷地の斜面に植えた。蔓が伸びれば居住空間でもあるウッドデッキに這わせようと思う。秋になれば、山葡萄の葉は赤くなり、とても美しいらしい。実がつくまで何年かかるか分からないが、鈴なりになる日が待ち遠しい。

       ↓ 将来は山小屋のデッキに山葡萄を這わせたい
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 山葡萄と聞けば、青森県にある秘湯・青荷温泉を思い出す。別名ランプの宿と呼ばれ、ひなびた温泉である。この宿に泊まったのは12年前で、女房は旅館の売店で売られていた山葡萄の蔓で編んだバッグが気に入った様子だった。

 女房に1本の薔薇も贈ったことがない私だが、旅情に浮かれていたのか、私の小遣いでバッグをプレゼントした。値段は言わぬが花だが、決して安くはない。使えば使うほど味が出ると言い、女房は今も大切に使っている。山葡萄と聞いて、バッグを買ったランプの宿を思い出す。

       ↓ バッグはネットから拝借した
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ワラビの塩漬けを味見した

 この春に塩漬けしておいたワラビを初めて取り出した。口の広い陶器の容器にかぶせておいた紙を外すと、敷き詰めておいた塩はまるで雪のような白さだった。ワラビの灰汁のようなものが滲み出し、濁っていると思っていただけに、その白さは意外だった。

 しかし、取り出したワラビは茶色で、少しがっかりした。銅製の鍋に浸しておけば、きれいな色になるらしいが・・・。塩抜きをして麺つゆで食べると、独特のぬめりもあり、ワラビらしい風味を味わうことが出来た。ただ、保存食だから仕方がないが、やはり春に食べるワラビの味とは微妙に違った。

 私たちが暮らす生石高原では、いたる所でたくさんワラビが採れる。塩漬けにして保存する方法があることは知っていたが、旬に食べるワラビとは別物だと思っていた。つまり、見下していたのだ。

 ところが、これは違った。3年ほど前、中仙道の宿場町、妻籠宿に行った時、蕎麦を食べた。その店は妻籠の有名店で、もちろん手打ちである。注文したざる蕎麦にワラビが添えられていた。

 季節は晩秋だったので、そのワラビは塩漬けしたものだった。これが実に美味しかった。店の女将に聞くと、祖母が塩漬けしているそうで、その方法を聞いてもらった。作り方はうろ覚えだったので、翌年の春に作った塩漬けは実にまずく、すべて廃棄した。

 次にワラビの塩漬けと出会ったのは、今年4月初旬だった。信州の小谷温泉に行った際、泊まった旅館の料理に添えられていた。これがまた絶妙の味で、女将から執拗に作り方を教えてもらった。それが今回の塩漬けである。

 お陰さまで、塩漬けは一応成功した。しかし、妻籠の蕎麦屋のもの、小谷温泉の旅館のものとは明らかに違った。どこがどう違うかは表現が難しいが、ワラビ自体の風味を損なわず、「熟成させた味わい」があると言えるかもしれない。

 信州や東北には山菜の知恵がいっぱいある。そんな風土の中で育まれた塩漬けにも、伝統の重みがあると思う。たかだか1回や2回の素人が塩漬けの出来、不出来を云々するのはおこがましい。来年春には、工夫してもっといい塩漬けを作りたいと思う。

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アサギマダラが帰って来た・・・そして鼻に止まった

 今日は台風5号が紀伊半島に向かっているが、時計の針を1週間ほど前に巻き戻す。8月1日午前8時45分ごろ、愛犬ぴーを連れて朝の散歩から帰り、山小屋への階段を上っていると、私の体にまとわりつくように蝶がふわふわと飛んで来た。待ちに待ったあの美しいアサギマダラだ。

 思わず、「お帰り」と叫びたい気分だった。わが家でこの蝶を見るのは昨年10月以来だから、10か月ぶりである。ここには夏から秋にかけ、結構頻繁にやって来る。アサギマダラの寿命は4、5か月と言われるので、この日飛来したアサギマダラはそれらの子供か、孫かもしれない。

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 それにしても、どうして毎年律儀に、ここ生石高原の一角にあるわが家を訪ねてくれるのだろう。蝶の遺伝子に、この土地の匂いとか花の情報が刷り込まれているのだろうか。

 アサギマダラは1000キロ、2000キロも旅をするが、旅のルートを間違えることなく毎年同じような場所に飛来しているのではないだろうか。蝶を捕獲した場所と日時を羽に記録するマーキングが盛んに行われているので、再捕獲のビッグデータを解析すれば、そのうち私の疑問を解いてくれるかもしれない。

 私に近寄ったきたそのアサギマダラは、玄関から5mほど離れた所に植えてあるフジバカマの花に止まった。蜜を吸っているのか、単にぶら下がっているのかわからなかったが、時折羽を開いて美しい文様を見せてくれるのだ。

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 実は、熊野古道の近くに住んでいる老夫婦が、アサギマダラを呼び寄せようと蝶の好むフジバカマを植えたのをテレビ番組で知った。私もわが山小屋を蝶の楽園にしたいと思い、去年、フジバカマを3株植えた。この作戦は的中し、咲いたばかりのその花に止まった。喜びもひとしおだった。

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 その日の午後3時ごろ玄関先に出ると、アサギマダラが近寄ってきて私の鼻に止まった。女房に写真を撮ってもらおうと、そっと家に入って女房を呼んだ。蝶はまだ鼻の先でじっとしており、女房は「あらまぁ」と驚いた。しかし、カメラを探している間に飛び立ってしまい、天井のシーリングファンに止まった後、外に出た。

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 女房などは、私の鼻など「汚いっ」と言って絶対触れないが、遠く列島の南からやって来たアサギマダラはこの日が私との初対面にもかかわらず、意表を衝くような形で親愛の情を示してくれた。ただ、決定的瞬間を撮影できなかったのは残念だった。

 アサギマダラの様子を見るためしばしば外に出てみたが、何と朝から午後5時ごろまでほとんどフジバカマの花に止まっていた。勝手な推測だが、長い旅の疲れを癒すため、じっとしていたのではないかと思った。

 次にやって来たのは、2日後だった。玄関先をふわふわと優雅に舞ったあと、物置のブルーシートの上に止まった。女房は家の中からサインペンを持って来てアサギマダラの羽をつまみ、「生石 8月3日」とマーキングした。この蝶がさらに北上を続け、どこかで運よく再捕獲されれば、「生石」のルートが記録に残る。長い旅の安全を祈りたい・・・。

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